ヴァンフォーレ甲府経営危機問題
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ヴァンフォーレ甲府経営危機問題(ヴァンフォーレこうふ けいえいききもんだい)は、2000年に日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)・ヴァンフォーレ甲府の債務超過が発覚し、チームの存続が危ぶまれた問題である。
- ^ 2000年当時の数値。
- ^ 当時は引き分けがあっても連勝・連敗がカウントされ、6連敗のあとの1引き分けを挟んだ19連敗を合わせ、25連敗とされていた。現在のルールでは19連敗に訂正されている。尚、未勝利記録は2003年にサガン鳥栖が超えている。(2010年-2011年にギラヴァンツ北九州が35試合に更新)
- ^ その清水はテレビ静岡や中日新聞東海本社、フジテレビジョンなどが出資し、日本航空や江崎グリコといった大手企業がスポンサーになるなど実態は企業体で構成されており、さらにオリジナル10かつ「サッカー王国」と称される静岡県という土地柄から支援の幅が甲府とは比較にならなかった。
- ^ 山梨県では他にも山梨県立韮崎高等学校のOBで結成された韮崎アストロス、山梨県立機山工業高等学校のOBで結成された機山クラブ(学校の統合により解散)など学校のOBで結成されたチームが多い。
- ^ 山梨県全体ではファナックと富士急行も上場しているが、当時はホームタウン外の郡内地方に本社がある。
- ^ 当時山梨県には日立甲府がバスケットボール部があったが、1999年に日立製作所が資本から撤退し甲府クィーンビーズとしてクラブチーム化。県内資本のシャトレーゼも2003年に日本ハンドボールリーグから脱退しハンドボール部を解散するなどヴァンフォーレ甲府だけでなく県内のスポーツチームはどこも縮小や撤退を余儀なくされている。
- ^ ユースチーム(現・U-18)の設立はJ参入3年目の2001年。なお、ジュニアユース(現・U-15)は参入時から設立されている。
- ^ 将来的にはクラブが商標権を買い戻すという条件での出資であったことから、その後の商標権問題に繋がることになる。
- ^ “ヴァンフォーレ甲府を見守って28年。県民みんなで支え続けたからこそ、天から「まさか!」が降りてきた”. Sportiva. (2022年10月18日) 2022年10月18日閲覧。
- ^ “VFK経営危機(VF甲府の経営危機の現状と今後の見込みについて)”. 山梨県庁. 2019年2月8日閲覧。
- ^ a b “ヴァンフォーレ甲府が地域にもたらす幸福感~存続危機から20年を振り返る”. 公益財団法人 山梨総合研究所 (2020年6月30日). 2023年3月4日閲覧。
- ^ Jリーグプレビューショー第16回放送より
- ^ 「サッカーJ2 VF甲府 経営ピンチ」(2000年12月27日、山梨日日新聞)
- ^ 「ホントにヤバイ 甲府が消える!?」(2000年12月29日、日刊スポーツ)
- ^ 「ヴァンフォーレ甲府 韓国2部の安山市民球団が研修参加「黒字経営続けている理由を知りたい」(2016年11月26日、スポーツ報知)
- ^ 海野一幸会長が「2016年第49回内閣総理大臣杯 日本プロスポーツ大賞 功労賞」受賞のお知らせ(2016年12月20日、ヴァンフォーレ甲府公式)
- ^ “川淵三郎さん「優勝は夢のよう」 J2甲府の天皇杯制覇に大感激 クラブ消滅危機乗り越えて初V”. 日刊スポーツ. (2022年10月16日). オリジナルの2022年10月28日時点におけるアーカイブ。 2022年10月16日閲覧。
- ^ ヴァンフォーレ甲府第30回経営委員会資料 (PDF)
- 1 ヴァンフォーレ甲府経営危機問題とは
- 2 ヴァンフォーレ甲府経営危機問題の概要
- 3 原因
- 4 問題発覚後の経過
- 5 同時期に経営問題が発生したチーム
- 6 評価
- 7 参考資料
- 8 脚注
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