営業収支での問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/21 05:34 UTC 版)
「ヴァンフォーレ甲府経営危機問題」の記事における「営業収支での問題」の解説
経営危機の原因として放漫な経営が挙げられることがあるが、後述のクラブ経営収支を見てもわかるとおり当時の営業費用は2億から3億円とJ2でも最低レベルの予算で運営しており、実際に事務処理では極力裏紙を使い回す、練習場を設けず市内の広場などを回り練習する、義務付けられているユースチームの設立を保留するなど限界まで経費削減を行っている。しかし大企業の少ない土地柄と営業能力の不備によりスポンサー不足に悩まされ、参入前年の1998年についていたユニフォームスポンサーもJ参入時に撤退、2000年秋まで約1年半もの間ユニフォームスポンサーがつかない状況が続いた。これが影響し、営業収入が営業費用を上回ることはなく赤字が積み重なり、結果として経営危機に陥ってしまった。 営業能力が乏しかった原因として、経営陣が経営や営業とは無縁のいわば「素人」で固められたこと挙げられる。例えば当時の社長である深澤孟雄は元高校教師であり、会社の経営や営業に関しては知識も経験も皆無であった。また甲府クラブOBであり、監督として高校サッカー選手権で数々の実績を挙げていた横森巧もプロ化に推進した1人であり、「J2に参戦しないと山梨のサッカーは沈没してしまう」と山梨県に強く訴えたが、「(Jリーグ)入ったはいいが、経営については非常に悩んだ」と経営の難しさについて述べている。結果甲府クラブのOBや県サッカー関係者がプロ化を目指し法人設立などそれらが達成したものの、経営の難しさから手を引いて社長の深澤に押し付けた状態となり、深澤や当時の山梨県サッカー協会会長などが私財を担保にするなど収益を捻出したが、アマチュアと違い支出が大幅に掛かるプロチームでは埋められるものではなかった。なお、これに関連しエンブレムおよび商標をクラブ所有ではなくチーム名改称時の会長個人の所有とし、法人化の際商標権および営業権を譲渡する代わりに使用料を払っていたことからその後の商標権問題に発展することとなる。
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