甲府サッカークラブとは? わかりやすく解説

甲府サッカークラブ

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/18 23:45 UTC 版)

甲府サッカークラブ
原語表記 甲府サッカークラブ
呼称 甲府クラブ
クラブカラー  
創設年 1965年
解散年 1997年
ホームタウン 山梨県甲府市
ホームスタジアム 山梨県小瀬スポーツ公園陸上競技場
甲府市緑が丘スポーツ公園
ホームカラー
アウェイカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

甲府サッカークラブ(こうふサッカークラブ)は、かつて存在した日本サッカークラブ。1965年に創部された。呼称は甲府クラブ甲府ク甲府SC日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)加盟のヴァンフォーレ甲府の前身となったクラブである。

概略・歴史

創設・関東リーグ時代(1965年-1971年)

1965年山梨県立甲府第一高等学校のOBチームが1965年に開催される第一回全国社会人サッカー選手権大会(全社)への出場が決定した際に山梨県立日川高等学校のOBを補強した鶴城クラブ(かくじょう-)の結成を以て創設とし(全社の結果はベスト8)、建設会社を経営する川手良萬の支援により運営されていた[注釈 1]1966年に甲府クラブに改称。1967年関東リーグが創設されることが決定すると、唯一の一般枠[注 1]をかけて予選会を勝ち抜き、関東リーグへの参入が決定した[1]

1969年には全国社会人サッカー選手権大会において優勝[注 2]、JSLとの入れ替え戦に進出するも、日立製作所本社サッカー部に2戦2敗で昇格は叶わなかった。1970年も同大会で準優勝したが、入れ替え戦で日本鋼管サッカー部に2戦2敗で敗れて、昇格はならなかった[1]

JSL時代(1972年-1992年)

1972年から新設されたJSL2部に参加。殆どが実業団チームで、アマチュアクラブチームは甲府クラブと京都紫光クラブのみであった。最初の2年は3位・2位と優秀な成績を収めていたが、1974年頃から住友金属工業蹴球団などが台頭する一方で創設時の主力メンバーが相次いで引退したこともあり次第に低迷。1980年1981年は低迷し入れ替え戦に回るもののいずれも勝利してJSLへ残留した[1]

一方で、1986年かいじ国体の開催が決定したことから甲府クラブの選手を中心にした国体チーム山梨県選抜が結成[注 3]され、1983年あかぎ国体1984年わかくさ国体で連覇を達成[注 4]する[1]。しかしかいじ国体では開催直前に川手が倒れたことも影響し、京都紫光クラブを中心にした京都府選抜に敗れ、ベスト8に終わっている。

かいじ国体終了の翌日に川手が死去。クラブの存続が危ぶまれたが、支援者の資金協力により存続が決まった[1]

1992年のJSL閉幕時には、1972年の第1回大会から1991/92年の第20回大会まで、「昇格も降格も消滅もせずJSL2部に所属し続けた唯一のチーム」として特別表彰を受けた。

旧JFL時代(1992年-1998年)

1992年からはリーグ制度改正に伴いジャパンフットボールリーグ(旧JFL)2部に参加。1993年、旧JFL2部において10チーム中9位となり規定上では地域リーグへの自動降格であったが、甲府より上位に位置していたNKKサッカー部(1988年に日本鋼管サッカー部から改称)とトヨタ自動車東富士FCがこの年を最後に廃部したため繰り上がりで入替戦に進出。国立西が丘サッカー場で行われた入替戦に2,500人以上のファンが駆け付け、日本電装に2-1で勝利[1]し、翌年から1部制になる旧JFLへの残留が決定した。

この頃からJリーグ参入の機運が高まり、県サッカー協会やOBらによってその準備が進められ、1995年には「ヴァンフォーレ甲府法人設立準備室」が設置されると同時に「チーム名をJリーグにふさわしい名前に」とのことからチーム名を公募。858点の応募の中からヴァンフォーレ甲府が選ばれ、アマチュアクラブの組織体制を維持した上で改称された[1]

1997年にプロクラブ化に向けて、その運営法人となる「ヴァンフォーレ山梨スポーツクラブ」が設立。運営法人が営業権を譲り受けて、プロサッカークラブとしてのヴァンフォーレ甲府が発足。これによって、甲府クラブ時代からのアマチュアクラブとしての歴史を終えた[1]

法人化されたチームは引き続き1998年の旧JFL参加を経て、1999年よりJリーグに参入している。

略歴

  • 1965年 : 創部。
  • 1967年 : 関東サッカーリーグに参加。
  • 1969年 : 全国社会人サッカー選手権大会優勝。
  • 1972年 : JSL2部参加。
  • 1992年 : ジャパンフットボールリーグ(旧JFL)に参加。
  • 1995年 : ヴァンフォーレ甲府へ改称。
  • 1997年 : ヴァンフォーレの運営法人となるヴァンフォーレ山梨スポーツクラブが設立。
  • 1997年 : Jリーグに入会。

成績

甲府サッカークラブ

年度 所属 順位 勝点 試合 得点 失点 JSL杯 天皇杯 監督 備考
1967 関東 4位 18 14 8 2 4 34 27 7 - - 岩田利男
1968 4位 15 14 7 1 6 37 26 11 鈴木旻
1969 優勝 25 14 12 1 1 34 12 22 保坂司
1970 優勝 22 14 10 2 2 27 7 20
1971 2位 19 14 8 3 3 31 15 16
1972 JSL2部 3位 21 18 9 3 6 33 21 12 2回戦敗退
1973 2位 26 18 12 2 4 39 25 14 -
1974 5位 20 18 8 4 6 30 26 4
1975 7位 14 18 5 4 9 27 34 -7 三池志朗
1976 8位 12 18 4 4 10 14 30 -16 予選敗退
1977 5位 32 18 6 2PK勝 4PK敗 6 28 28 0 予選敗退 岩間友次
1978 3位 38 18 9 1PK勝 0PK敗 8 32 33 -1 予選敗退
1979 8位 26 18 5 2PK勝 2PK敗 9 26 42 -16 1回戦敗退 田原一孝
1980 9位 10 18 4 2 12 17 33 -16 2回戦敗退 [※ 1]
1981 9位 10 18 4 2 12 18 42 -24 ベスト8
1982 8位 12 18 4 4 10 15 23 -8 1回戦敗退
1983 8位 14 18 4 6 8 29 40 -11 2回戦敗退
1984 10位 6 18 1 4 13 20 44 -24 2回戦敗退 1回戦敗退
1985 JSL2部東 4位 10 10 5 0 5 22 16 6 2回戦敗退 -
JSL2部上位 10 10 4 2 4 16 12 4
1986 JSL2部東 7位 15 14 6 3 5 15 15 0 ベスト8 1回戦敗退
JSL2部上位 11 14 5 1 8 12 15 -3
1987 JSL2部東下位 13位 13 20 4 5 11 23 63 -40 1回戦敗退 - 清水満 [※ 2]
1988/89 JSL2部東下位 9位 20 20 9 2 9 24 29 -5 1回戦敗退
1989/90 JSL2部 12位 24 30 5 9 16 25 51 -26 1回戦敗退 新藤道也
1990/91 12位 34 30 10 4 16 37 57 -20 1回戦敗退 鰻池晴雄
1991/92 10位 33 30 9 6 15 35 66 -31 2回戦敗退
1992 旧JFL2部 5位 28 18 9 1 8 26 29 -3 - 深沢一智
1993 9位 - 18 6 - 12 15 37 -22 -
1994 旧JFL 14位 - 30 9 - 21 36 74 -38 2回戦敗退 勝俣進
  1. ^ 入れ替え戦の成績を除外。結果は後述。
  2. ^ 後期は下位リーグ戦とは別に順位決定戦(2シーズンともPK勝利)がある。

ヴァンフォーレ甲府

年度 所属 順位 勝点 試合 得点 失点 天皇杯 監督
1995 旧JFL 9位 43 30 14 16 54 54 0 - 塚田雄二
1996 11位 33 30 11 19 50 56 -6 2回戦敗退
1997 6位 30 52 19 11 59 41 +18 3回戦敗退
1998 4位 30 59 22 8 74 40 +34 4回戦敗退

入替戦

年度 入替戦名 対戦相手 スコア 備考
第1戦 第2戦
1969 JSL・全社 日立本社 (JSL) 0-2● 0-1● 関東リーグ残留
1970 日本鋼管 (JSL) 0-4● 0-3● 関東リーグ残留
1980 JSL2部・地域 古河千葉 (地域) 1-2● 4-1○ JSL2部残留
1981 電電近畿 (地域) 1-0○ 1-0○ JSL2部残留
1993 旧JFL2部・地域 日本電装 (地域) 2-1○ 旧JFL残留

タイトル

チームタイトルはリーグ戦およびカップ戦、個人別タイトルはリーグ戦のみ記載。

チーム

個人別

  • JSL2部得点王 - 数野篤人 (1978年、12得点)
  • JSL2部アシスト王 - 小林慎二 (1990/91年、14アシスト)

脚注

注釈

  1. ^ 8チーム中7チームは既に推薦での参入が決定していた。
  2. ^ 浦和サッカークラブと同時優勝
  3. ^ 山梨県の選抜チームであったことから甲府クラブの成績としてはカウントされない。
  4. ^ 1984年は茨城県選抜と同時優勝

出典

  1. ^ a b c d e f g h ヴァンフォーレ甲府60周年特設サイト History”. ヴァンフォーレ甲府. 2025年1月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年1月11日閲覧。

関連項目


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