ナズリ・ナシルとは? わかりやすく解説

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ナズリ・ナシル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/12 07:02 UTC 版)

ナズリ・ナシル
名前
本名 モハメド・ナズリ・ビン・ナシル
ラテン文字 Nazri Nasir
基本情報
国籍 シンガポール
生年月日 (1971-01-17) 1971年1月17日(54歳)[1]
出身地 シンガポール
身長 175cm[2]
選手情報
ポジション MF(DMF)/DF(CB)
ユース
1987 ジュロン・タウンFC[3]
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1988-1991 ジュロン・タウンFC[4]
1991-1992 バレスティア・ユナイテッドFC[5] 10 (0)
1992-1994 シンガポール警察
1994-1995 シンガポールFA[6] 14 (6)
1996 センバワン・レンジャーズFC 24 (1)
1997-2001 SAFFC
2002-2008 タンピネス・ローバースFC 299 (19)
代表歴2
1990-2004  シンガポール 100[7] (12)
監督歴
2008-2012 タンピネス・ローバースFC(総支配人)
2012-2013 NFA U-15
2014-2015 シンガポール・ライオンズXII(アシスタント)
2017-2018  シンガポール U-20
1. 国内リーグ戦に限る。
2. 2004年7月12日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ナズリ・ナシルNazri Nasir1971年1月17日 - )は、シンガポールの元サッカー選手、現サッカー指導者。元シンガポール代表主将[8]。ポジションは守備的ミッドフィールダーまたはセンターバック

戦う事も出来、よく走り、強力なタックルを持つ選手として知られた他[2]、シンガポールの主将として挑んだ1998 タイガーカップでは同国に初めての優勝を齎した。

クラブ歴

1988年にシンガポールサッカー協会プレミアリーグに所属するジュロン・タウンFCでサッカー選手となった[4]。1988年と1989年にはプレジデンツ・カップを制覇している[9]。1990年にはラフィ・アリ、サニザル・ジャミルと共に、チェコスロバキアFCニトラに二ヶ月のトレーニングを受けに行っている.[10][11]。FCニトラからのプロ契約の打診があったもののこれを断り[12]、1991年にバレスティア・ユナイテッドFCと年俸1万シンガポール・ドルの二年契約をした[5]。その後、シンガポール警察サッカー部へ移籍。

1994年2月には、シンガポールFAと2年の契約を結んだ[6]。これによって、マレーシア・スーパーリーグへの参戦とマレーシアカップへの参加を経験する事となった[13]。同チームがマレーシアから追放され、1995年の東南アジア競技大会がシンガポールで開かれる事となると、シンガポールサッカー協会は同チームのプレミアリーグへの移籍及びSリーグの創設を決定した[14]。この年はプレミアリーグで優勝を果たしている。

Sリーグが開幕した1996年はセンバワン・レンジャーズFCに所属した。その翌年からはシンガポール・アームド・フォーシズFCに移籍し、1997年、1998年、2000年に同チームでリーグ優勝を果たした。2002年にはタンピネス・ローバースFCに移籍し、センターバックとして活躍[15]、2004年と2005年にリーグ優勝をした。37歳となった2008年、タンピネス・ローバースFCで現役を引退した。

代表歴

代表デビューは1990年9月13日に行われたマレーシア代表戦であった[7]

1992年11月19日にはパン・アイランド高速道路で乗っていたバイクで事故に遭い、背骨と右の鎖骨が粉砕された[16]。5週間のリハビリの後に復帰したものの[17]、1993年2月に行われたムルデカ大会1993には出場出来なかった[18]

1997年にはシンガポール代表の主将となり、1998 タイガーカップでは主将として同国を初優勝に導いた。

2007年6月にはFIFAセンチュリークラブの一員となった[19]

監督歴

選手として引退した後には、現役を引退したタンピネス・ローバースFCで総支配人を務めた[20]。その後は、シンガポール国立フットボールアカデミーのU-15監督を務め、2012年と2013年のライオン・シティ・カップに監督として参戦した。

2013年12月16日には、シンガポール・ライオンズXIIのアシスタントコーチに就任した[21]。同チームではシンガポールFAでのチームメイトであったファンディ・アマドの下で任務を全うしている。

個人

彼の父親は1993年12月に69歳で亡くなっている[22]。母親については、自身が8歳の時に喘息を発症し、成績も芳しくなかったにも関わらず、サッカーのサポートをしてくれたと云う[23]。兄弟が6人、姉妹が4人いる[24]。兄のナズリ・アミンも元シンガポール代表のディフェンダーで現在サッカー指導者となっている[25]

センバワン小学校を卒業し、シ・リン中学校を卒業した。その後工芸教育学院で学位を取得した[24]

1994年11月27日には客室乗務員と結婚した[26]。息子が二人おり、彼らは国立フットボールアカデミーにセンターバックとして在籍している[27][28]。娘は2004年10月に生まれた。

また、トッテナム・ホットスパーFCのファンである[24]

タイトル

クラブ

ジュロン・タウンFC
シンガポールFA
シンガポール・アームド・フォーシズFC
タンピネス・ローバースFC

代表

シンガポール

個人

  • Sリーグ市民選出賞: 2004

参考文献

  1. ^ “Nazri Nasir's fact file”. The Straits Times. (1990年7月24日) 
  2. ^ a b Darren Lai (2005年10月24日). “The most successful player of the decade”. Today 
  3. ^ Hakikat Rai (1987年9月28日). “Jurong eager on Suria for League”. The Straits Times 
  4. ^ a b “Jurong Town Football Club”. The Straits Times. (1988年1月2日) 
  5. ^ a b Joe Dorai (1991年4月1日). “Balestier secures Nazri's signature”. The Straits Times 
  6. ^ a b “Nazri accepts two-year deal with the FAS”. The Straits Times. (1994年2月17日) 
  7. ^ a b FIFA Century Club fact sheet”. FIFA (2013年4月12日). 2015年11月24日閲覧。
  8. ^ FAS launches FAS Captains' Advisory Panel”. FAS. 2014年3月21日閲覧。
  9. ^ “Jurong pave way for young talent”. The Straits Times. (1990年1月2日) 
  10. ^ Joe Dorai (1990年7月24日). “FAS select three teenagers for stint with Czech club”. The Straits Times 
  11. ^ Peter Khoo (1990年11月9日). “Czech club Nitra will play hosts to talented teen trio”. The Straits Times 
  12. ^ Joe Dorai (1991年3月19日). “Singapore trio turn down Czech pro offers”. The Straits Times 
  13. ^ Peter Khoo (1994年12月18日). “The perfect end to Singapore's 14-year drought”. The Straits Times 
  14. ^ Joe Dorai (1995年3月5日). “It's official: FAS to keep Lions intact this year”. The Straits Times 
  15. ^ Jose Raymond (2001年11月21日). “Nazri's a Stag”. Today 
  16. ^ “Footballer Nazri hurt in crash”. The Straits Times. (1992年11月20日) 
  17. ^ “Nazri and Borhan doing light workouts”. The Straits Times. (1993年1月5日) 
  18. ^ “Borhan, Nazri out”. The Straits Times. (1993年1月12日) 
  19. ^ FIFA Century Club fact sheet”. FIFA (2007年6月12日). 2015年11月24日閲覧。
  20. ^ “Nazri kicks off new career”. Today. (2008年1月3日) 
  21. ^ Nazri Nasir joins LionsXII as assistant coach”. LionsXII. 2014年3月6日閲覧。
  22. ^ “Condolences to Nazri, Amin”. The Straits Times. (1993年12月15日) 
  23. ^ “Nazri leaves a lasting impression”. The Straits Times. (1991年4月7日) 
  24. ^ a b c “Nazri provides 'oomph'”. The Straits Times. (1993年11月27日) 
  25. ^ “S.League: Beating cancer is his biggest win”. The New Paper. (2014年3月1日). http://news.asiaone.com/news/sports/sleague-beating-cancer-his-biggest-win 
  26. ^ “Nazri meets his match in Sharifah”. The Straits Times. (1994年11月28日) 
  27. ^ “Dad cracks whip only on field”. The Straits Times. (2013年6月7日). http://www.straitstimes.com/the-big-story/case-you-missed-it/story/dad-cracks-whip-only-field-20130609 
  28. ^ “SSS profile: Amer doesn't want to be the new Nazri”. The New Paper. (2012年9月20日). オリジナルの2014年3月22日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140322043218/http://www.tnp.sg/sss/content/sss-profile-amer-doesnt-want-to-be-new-nazri 

外部リンク

先代
リム・トンハイ
サッカーシンガポール代表主将
1997-2003
次代
アイデ・イスカンダル



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