美空ひばり
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NHK紅白歌合戦出場歴
ひばりは1954年・第5回、および1957年・第8回から1972年・第23回までの16年連続、通算17回出場し(その後1979年・第30回も特別出演)、うち13回トリを務めている。通算17回の出場という記録は、1972年当時の紅白歌合戦における史上最多記録である[注釈 12]。
なお、ひばりには初出場以前の1953年1月・第3回と同年大晦日の第4回にも出場のオファーがかけられていたが、第3回は正月興行、第4回は年末の公演との兼ね合いから、ひばりサイドが出場を辞退している。また、出場していない1955年・第6回と1956年・第7回は、ラジオ東京テレビ(現・TBSテレビ)の「オールスター歌合戦」に出演するため、出場を辞退している。
上述の通り1973年・第24回では事実上の落選となったが、1975年・第26回以降、ひばりが死去する1980年代後半まで、NHKは幾度となくひばりに対して出演オファーを行っていた。その結果、1979年・第30回では「特別出演」という形で一度限りながら、紅白への復帰が実現している。
- 記録など
- 通算トリ回数は13回で北島三郎・五木ひろしに並び史上最多(紅組歌手に限った場合はひばりが単独最多であり、ひばりに次ぐ記録は石川さゆりの9回、和田アキ子の7回)。
- 連続トリ回数は10年連続で史上最多(ひばりに次ぐ記録はMISIAの5年連続、SMAP、福山雅治の4年連続。紅組歌手に限った場合でもMISIAの5年連続、島倉千代子の3年連続)。
- 通算大トリ回数は11回で北島三郎と並び歴代最多タイ(紅組歌手に限った場合はひばりが単独最多であり、ひばりに次ぐ記録は都はるみの3回)。
- 1970年・第21回は紅組司会も担当(その年は大トリも務めており、紅白史上初の組司会・大トリ兼任)。その後、2016年に相葉雅紀、2018年・2019年に櫻井翔も組司会・大トリ兼任をしている。
- 1979年・第30回は紅白30回を記念して特別ゲストとして出演(正式な出場回数には含まれない。これが生涯最後の紅白出演となった)。
年度 | 放送回 | 回 | 曲目 | 出演順 | 対戦相手 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
1954年 | 第5回 | 初 | ひばりのマドロスさん | 13/15 | 小畑実 | |
1957年 | 第8回 | 2 | 長崎の蝶々さん | 25/25 | 三橋美智也 | 大トリ |
1958年 | 第9回 | 3 | 白いランチで十四ノット | 25/25 | 三橋美智也(2) | 大トリ(2) |
1959年 | 第10回 | 4 | ご存知弁天小僧 | 25/25 | 春日八郎 | 大トリ(3) |
1960年 | 第11回 | 5 | 哀愁波止場 | 14/27 | 春日八郎(2) | |
1961年 | 第12回 | 6 | ひばりの渡り鳥だよ | 14/25 | 橋幸夫 | |
1962年 | 第13回 | 7 | ひばりの佐渡情話 | 06/25 | 春日八郎(3) | |
1963年 | 第14回 | 8 | 哀愁出船 | 25/25 | 三波春夫 | 大トリ(4) |
1964年 | 第15回 | 9 | 柔 | 25/25 | 三波春夫(2) | 紅組トリ(5) |
1965年 | 第16回 | 10 | 柔(2回目) | 25/25 | 橋幸夫(2) | 大トリ(6) |
1966年 | 第17回 | 11 | 悲しい酒 | 25/25 | 三波春夫(3) | 紅組トリ(7) |
1967年 | 第18回 | 12 | 芸道一代 | 23/23 | 三波春夫(4) | 大トリ(8) |
1968年 | 第19回 | 13 | 熱祷 | 23/23 | 橋幸夫(3) | 大トリ(9) |
1969年 | 第20回 | 14 | 別れてもありがとう | 23/23 | 森進一 | 大トリ(10) |
1970年 | 第21回 | 15 | 人生将棋 | 24/24 | 森進一(2) | 大トリ(11) 司会・大トリ兼任 |
1971年 | 第22回 | 16 | この道をゆく | 25/25 | 森進一(3) | 大トリ(12) |
1972年 | 第23回 | 17 | ある女の詩 | 23/23 | 北島三郎 | 大トリ(13) |
1979年 | 第30回 | 18 | 美空ひばりメモリアルメドレー[注釈 13] | - | 藤山一郎 | 7年ぶりの復帰・生涯最後の紅白出場 特別出演であるが、紅組歌手に分類されている[82]。 |
2019年 | 第70回 | 特別企画 | あれから | - | なし | 「AI美空ひばり」として出場 |
- 1979年(第30回)は正式な出場歌手ではないため、出演順は数えられない。
- 対戦相手の歌手名の()内の数字はその歌手との対戦回数、備考のトリ等の次にある()はトリ等を務めた回数を表す。
- 曲名の後の(○回目)は紅白で披露された回数を表す。
- 出演順は「(出演順)/(出場者数)」で表す。
- 2019年(第70回)はAIひばりとして、特別出場。歌唱曲は「あれから」[83]。
美空ひばりの楽曲が紅白歌合戦で他の歌手によって歌唱された例
- ひばりの生前の功績の大きさから、その功績を称えるために死後も他の歌手によってひばりの持ち歌が幾度となく紅白歌合戦で歌唱されている。
年度 | 放送回 | 歌手名 | 曲目 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1989年 | 第40回 | 雪村いづみ | 愛燦燦 | 大親友だった雪村いづみが、ひばりの追悼として歌唱。 |
1994年 | 第45回 | キム・ヨンジャ | 川の流れのように | NHKが実施した「戦後50年で思い出深い歌」「紅白で聴きたい歌アンケート」の1位であった同曲を歌唱[84]。 |
1999年 | 第50回 | 天童よしみ | NHKが実施した「21世紀に伝えたい歌」(アンケート)の1位であった同曲をひばりを慕っていた天童が歌唱。 | |
2005年 | 第56回 | 『スキウタ〜紅白みんなでアンケート〜』で紅組8位にランクインした同曲を天童が自身3回目の紅組トリで歌唱。 | ||
2007年 | 第58回 | 小椋佳 | 愛燦燦 | ひばりの生誕70周年を記念して、「愛燦燦」の楽曲プロデュースを担当した小椋佳が生前のひばりの映像との仮想デュエットを披露した。 |
2011年 | 第62回 | 天童よしみ | 2011年がひばりの23回忌であり、ひばりの写真も映し出された。 | |
2015年 | 第66回 | 人生一路 | ひばりが「東京ドーム 不死鳥コンサート」のラストで同曲を歌ったときと同様に、『終りなき旅』の一節も併せて歌われた。 また、天童の衣装も「不死鳥コンサート」でのひばりの衣装を模したものであり、ひばり本人の映像や写真も映し出された。 | |
2016年 | 第67回 | 島津亜矢 | 川の流れのように | |
2017年 | 第68回 | 市川由紀乃 | 人生一路 | |
2021年 | 第72回 | 氷川きよし | 歌は我が命 | |
2022年 | 第73回 | 坂本冬美 | お祭りマンボ〜スカパラSP〜 | 東京スカパラダイスオーケストラとの共演。 |
注釈
- ^ 磯子区杉田四丁目の横須賀街道に面した劇場で、日本飛行機の関連工場を改装したもの。建物の裏は海だった。なお2005年3月開館の区営ホール、横浜市磯子区民文化センター 杉田劇場とは別物であるが、ひばりデビュー公演のチラシなど旧劇場の関連資料を保存・展示している(杉田劇場の歴史)。
- ^ 戦後間もない当時は、警察の力が弱く、地回りへの挨拶は必要不可欠であった。
- ^ ひばり母子はこの記事を長く保存しハチローに敵愾心を持っていたと言われるが、後にハチローと和解している。
- ^ ただし、ひばりには既に1953年1月・第3回の時点で、出演のオファーがかけられていたが、第3回は正月興行、その次の1953年12月・第4回は年末の公演との兼ね合いから、ひばりサイドから出演を見送られた経緯があり、NHKにとっては3度目の「ラブコール」が実った形となった。
- ^ 当時、那覇を含む沖縄は日本本土から分離され、琉球政府を通じたアメリカ合衆国による沖縄統治が行われていた。
- ^ 元々はひばりのために書かれた曲ではなく、1960年に北見沢淳が歌った曲であった。
- ^ 岡田は1964年に東映京都撮影所所長に就任し、興行不振の続く時代劇から任侠映画に徐々に切り替えを行う(【訃報】“任きょう映画の父”が87歳で、『私と東映』× 神先頌尚氏インタビュー(第3回 / 全4回)、NBonlineプレミアム : 【岡田茂・東映相談役】テレビとXヤクザ、2つの映画で復活した)。ひばり主演の時代劇は安定した人気を保っていたが、1966年頃からひばり作品まで当たらなくなるほど深刻な状況に陥った(立松和平『映画主義者 深作欣二』文藝春秋、41頁)。やむを得ず、岡田がひばりに直接「ひばりちゃん、悪いがもう(ひばりちゃんの)映画は撮らんよ」と伝えた。ひばりは「これで私には映画の話は来なくなるわね」と寂しい顔をされ、岡田を困惑させた (『映画主義者 深作欣二』、41頁)。1963年12月26日、東映との専属契約を解除(資料文献:西川2021, pp154 - 179)。映画を通じての付き合いは無くなったが、岡田とひばりの交遊は生涯にわたって続き、ひばりは1989年に病状が悪化し、順天堂大学医学部附属順天堂医院に入院したが、これは岡田の広島高等学校時代からの親友で(サンケイスポーツ、1975年5月21日号、15頁、『沢島忠全仕事』、197、478–479頁)、同院の石井昌三(元順天堂堂主、理事長)の手引きによるもの(脇田巧彦著『特ダネ人脈 記者50年』2016年、埼玉新聞社、203頁)。岡田も系列の順天堂大学医学部附属練馬病院で亡くなっている。
- ^ 哲也は、1957年、小野透の芸名でひばりの全盛期には歌手デビューし、多くの東映映画に出演、主演を務めたこともあったが1962年に引退。元々ひばりの弟という売り込みでひばり関連の興行などで役者や間つなぎの歌手もこなしていたが、三代目山口組益田組(組長は益田佳於)の舎弟頭となっていた。翌1963年には賭博幇助容疑、賭博開帳図利等、1964年には拳銃不法所持、1966年には傷害、暴行、拳銃密輸、1972年には暴行で逮捕と刑事事件が続いていた。
- ^ 事実上は落選。この頃NHKには「ひばりを出すな」という苦情も多く来ており、また数年ヒット曲に乏しかったこともあって理事会ではほぼ満場一致で決まったという。
- ^ ただし、1979年の第30回には藤山一郎と特別出演、『ひばりのマドロスさん』、『リンゴ追分』、『人生一路』の3曲をメドレー形式で歌った。
- ^ 美空ひばりは当時12歳頃。主人公の男女がのど自慢大会を見物をしていたシーンでおよそ40秒出演していて、「涙の紅バラ」を歌っていた。映画会社が作品完成後倒産してしまい、行方不明であったが、神戸市にある神戸映画資料館が約40年前にフィルムを購入しており、文化庁の助成により内容を精査していたところ、2016年1月に出演が確認された。
- ^ 1974年・第25回に島倉千代子とフランク永井がいずれも18回目の出場を果たし、更新。
- ^ ひばりのマドロスさん(2回目)・リンゴ追分・人生一路のメドレー。
出典
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- ^ 美空ひばりの新曲ライブの実現を支援 あの歌声を当社最新の歌声合成技術『VOCALOID:AI™』で再現 「NHKスペシャル AIでよみがえる美空ひばり(仮)」に技術協力
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美空ひばりと同じ種類の言葉
固有名詞の分類
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