美空ひばりとの関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/11 15:02 UTC 版)
1956年(昭和31年)、小野は美空ひばりと婚約した。が、この婚約は後に解消された。 ひばりに、ジャズの手ほどきをしたのは小野である。 シックス・ブラザーズがひばりのバックバンドを務めていたこともあり、恋愛感情だけではなく強い信頼関係で結ばれていたという。 1957年(昭和32年)東京浅草国際劇場にて、ひばりが顔に塩酸をかけられるという事件が起こった。その際、小野はやけどを負ったひばりを背負い、走って病院へ向かった。小野の優しい人柄や機転の速さ、ひばりへの思いがよく現れているエピソードといえるだろう。 美空ひばりとの恋は、結婚という形では成就しなかった。国民的大スターのひばりを“国の宝”と小野は考えており、「結婚したら女性は家に入るもの」という考え方が色濃かった時代において、非常に悩んだという。ひばりと結婚することは、ひばりを小野の故郷・千葉県市原市姉崎の小野家の嫁にすること、姉崎の家に入ってもらうという意味であったからである。大スターのひばりを引退させ、自分が独占することなど出来ないと考えた小野は、最終的に育ての母の思い(小野家の繁栄、小野家に入ってくれるお嫁さんを、という願い)を大事にする道を選び、ひばりとの結婚をあきらめることとなったそうである。 スイングビーバーズ結成後、小野はひばりのバックで演奏をすることから身を引いた。そしてシックス・ブラザーズのメンバーであったチャーリィ脇野と共に、スイングビーバーズの発展に努めた。その後脇野はスイングビーバーズから独立し、自身のバンド、チャーリィ脇野とゲイポップスを編成。ゲイポップスは“東京ドームの不死鳥コンサート”まで、ひばりのバックバンドと指揮を務めた。 車を運転する際には、ひばりのカセットテープやCDを聴いていた。
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