小川 笙船 (おがわ しょうせん)
1672〜1760 (寛文12年〜宝暦10年) |
【医者】 「生活費・治療費一切無料」。貧しい者のために小石川養生所開設にはたらく。 |
医者。先祖は近江国の人。江戸小石川で町医を営む。1721年、目安箱に貧病人の施療施設設置の意見書を投書して採用され、小石川養生所が開設され、子の丹治とともに世話役を命じられた。養生所の入所者は当初看病人のいない病苦の貧窮者に限定されていたが、後看病人がいても貧窮の病人であれば行倒人でも収容した。入所者は、治療費・食費、その他雑費一切無料だった。 |
年(和暦) |
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●1681年 (天和元年) | ■護国寺建立 | 9才 |
●1682年 (天和2年) | ■江戸大火(八百屋お七の火事) | 10才 |
●1687年 (貞享4年) | ■生類憐みの令 | 15才 |
●1698年 (元禄11年) | ■江戸大火(勅額火事) | 26才 |
●1702年 (元禄15年) | ■赤穂浪士討ち入り | 30才 |
●1703年 (元禄16年) | ■江戸開府100年 | 31才 |
●1705年 (宝永2年) | ■御蔭参り流行 | 33才 |
●1707年 (宝永4年) | ■富士山噴火 | 35才 |
●1718年 (享保3年) | ■御蔭参り流行 | 46才 |
●1719年 (享保4年) | ■相対済し令 | 47才 |
●1720年 (享保5年) | ■江戸大火 | 48才 |
●1720年 (享保5年) | ■江戸町火消しいろは組を設置 | 48才 |
●1722年 (享保7年) | ■小石川養病所設置 | 50才 |
●1732年 (享保17年) | ■西日本に蝗害 | 60才 |
●1742年 (寛保2年) | ■公事方御定書制定 | 70才 |
●1744年 (延享元年) | ■神田に天文台設置 | 72才 |
・八百屋 お七 | 1666年〜1683年 (寛文6年〜天和3年) | +6 |
・荻生 徂徠 | 1666年〜1728年 (寛文6年〜享保13年) | +6 |
・Sidotti Giovanni Battista | 1668年〜1714年 (寛文8年〜正徳4年) | +4 |
・大岡 忠相 | 1677年〜1751年 (延宝5年〜宝暦元年) | -5 |
小川笙船
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小川 笙船(おがわ しょうせん、寛文12年(1672年) - 宝暦10年6月14日(1760年7月26日))は、江戸時代中期の町医者、漢方医。諱は弘治。江戸幕府の無料の医療施設である小石川養生所の設立運営に貢献した。
山本周五郎の小説『赤ひげ診療譚』の主人公「赤ひげ先生」こと新出去定のモデルとして知られる。
生涯
寛文12年(1672年)、小川利重の子として生まれる。伊予国の戦国大名・小川祐忠の子孫にあたる。
享保6年(1721年)12月、江戸幕府8代将軍・徳川吉宗が設置していた目安箱に、江戸市中の貧困層への診療施設となる施薬院の設立を求める意見を投書した[1]。この笙船の上書は採用され、享保7年(1722年)正月に吉宗は有馬氏倫に施薬院の設立を命じた[1]。設立にあたり笙船は町奉行の中山時春と大岡忠相から意見を聴取された[2][1]。ところが、笙船の唱える計画実現に困難さを感じた有馬氏倫は、両町奉行与力に事務方を担当させ、調査検討の末に設立に漕ぎつけている。
同年12月13日、小石川御薬園内に養生所が設立(小石川養生所)され、笙船は肝煎に就任した[1]。しかし、養生所が幕府の薬園であった土地にできたこともあり、庶民たちは薬草などの実験台にされると思い、あまり養生所へ来る者はいなかった。状況を打開するため、大岡忠相は全ての江戸町名主を養生所へ呼び出し、施設や業務の見学を行わせた。そのため、患者は増えていったが、一方で入所希望者を全て収容できない状況にも陥った。
享保11年(1726年)、子の隆好に肝煎職を譲って隠居し、金沢(現・神奈川県横浜市金沢区)へ移り住んだ。以後、養生所肝煎職は笙船の子孫が世襲した。その後、病に罹って江戸へ戻った。
宝暦10年(1760年)6月14日、病死。享年89。小石川の光岳寺に葬られ、太寧寺(現・神奈川県横浜市金沢区)[3][4]に分骨されたという。後に雑司ヶ谷霊園へ改葬された。
参考文献
- 『旧幕引継書目録9 撰要類集細目 第1 (享保撰要類集)』国立国会図書館参考書誌部、1967年 。
- 『旧幕引継書目録10 撰要類集細目 第2 (明和撰要集,安永撰要類集)』国立国会図書館参考書誌部、1967年 。
- 『徳川吉宗 - 八代米将軍の豪胆と治政』(学習研究社、1995年/ISBN 405600711X)
ドラマ
脚注
- ^ a b c d 山口静子. “小石川養生所初期の医療活動について”. 2020年7月21日閲覧。
- ^ 『旧幕引継書目録9 養生所之部』1967年、123頁 。
- ^ “「赤ひげ先生」しのんで”. タウンニュース 金沢区・磯子区版. 株式会社タウンニュース社 (2012年6月21日). 2018年10月6日閲覧。
- ^ 太寧寺 - 横浜金沢観光協会
関連項目
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「小川 笙船」の例文・使い方・用例・文例
- さらさらと音を立てている小川
- あの小川は小さいので飛び越せる
- 小川の流れ
- その小川は大雨の降った後どっと水が流れていた
- 小川のせせらぎ
- 彼らはその小川の近くにテントを張った
- 小さな小川が私の家の前を流れている
- その小川は湖に流れ込む
- 小さな小川が泉から流れ出ている
- その小川は浅い
- 彼はひと跳びに小川を横切った
- 男の子たちは石の上をとびながら小川を渡った
- 小川をまたいで渡る
- 小川を歩いて渡る
- 小川のさらさら流れる音
- さらさら流れる小川
- 私たちはさらさらと流れる小川沿いにハイキングした。
- 小渓谷の中を小川が流れていた。
- 小川が森の中を流れている。
- 私はこのザリガニを小川で釣りました。
固有名詞の分類
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