史実との主要な相違
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 15:39 UTC 版)
「大岡越前 (テレビドラマ)」の記事における「史実との主要な相違」の解説
大岡忠相の実父・大岡忠高は忠相が江戸町奉行に就任した時期には他界している(なお、忠相は同族の旗本・大岡忠真に婿養子に出されている)。 大岡忠相は、初期において物語上は青年奉行のように描かれているが、史実では町奉行就任時にすでに40歳であり、嫡男・忠宣がいた。 小石川養生所の初代肝煎はこのドラマでは志村喬演じる「海野呑舟」だが、史実では(このドラマにおいて榊原伊織が提起した)「施薬院」を提案した小川笙船である。第14部最終回「友を裁いた名奉行」では、小石川養生所は史実通り小川笙船の提案を南北町奉行が建議し設立した旨、伊織が語るシーンがある。 大岡忠相自身は天一坊事件には関わっていない。 第4部以降、裁きに「人足寄場送り」が頻出するようになるが、寛政年間に(鬼平犯科帳の主人公として有名になった)長谷川宣以(平蔵)が建議して作られたものであり、大岡忠相が活躍した時代には存在しない。 このドラマでは、尾張の徳川宗春を「尾張大納言宗春」と表現しているが、宗春は権中納言であり、死後大納言を贈られている。 第14部で「昌平黌(昌平坂学問所)」が登場するが、朱子学・林家の私塾「学問所」を昌平黌(昌平坂学問所)と改め、幕府直轄となるのは寛政年間である。なお、昌平坂学問所は、直参だけでなく浪人まで聴講できた。
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