史実としての信頼性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 13:03 UTC 版)
アショーカ王以前の歴史的記述は、一般的に史実としては信頼性が低く、伝説に近いものであると考えられているが、それに比べるとマハーワンサの信頼性は高いと考えられている。 しかし例えば、マハーワンサ中でウィジャヤ王がスリランカに来たとしている時期は、ブッダの入滅 (紀元前543年) とタイミングを合わせるように編集されていて、ウィジャヤ王に関する記述については、史実は全体的にマハーワンサの記述よりも古い時期であろうと考えられている。 マヒンダ王子がスリランカの王を仏教に帰依させたとされていることについては、議論の対象となっている。ドイツのインド研究家ヘルマン・オルデンベルク (Hermann Oldenberg) は、釈迦と釈迦の教えについてのパーリ語の資料を多数翻訳しているが、この逸話については「創作である」と断じている。V. A. スミスもこの逸話は「整合性を欠く」としている。これはいずれも、アショーカ王法勅 (英: Rock Edict) にこの布教活動のことが触れられていないことを根拠としている 。 またアショーカ王がスリランカに仏教の布教を行ったとする時期についても不整合がある。マハーワンサではその時期は紀元前255年とされているが、アショーカ王法勅ではそれよりも6年早い紀元前260年である。
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