史実での十八騎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/18 02:55 UTC 版)
江戸後期の1799年(寛政11年)~1812年(文化9年)に堀田正敦が編纂した『寛政重修諸家譜』掲載の近藤正次の項(第百九十七冊)によると、彼は1590年(天正18年)の北条家滅亡後、家康の関東移封に従って武蔵国橘樹郡に赴き、綱島に300石を与えられ「十八騎の頭となる」と記載されている。その後九戸政実の乱や関ヶ原の戦い、大坂の陣にも従軍し武功をあげていることから、これらの事跡が上述のような現在の綱島地域に伝わる「綱島十八騎」伝承のベースとなった可能性がある。
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