史実から虚構へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/28 15:54 UTC 版)
水滸伝の物語の大半は、様々な人の手にかかる架空の話であるが、本筋・骨格となる部分の中には史実に取材した要素がいくつかある。史実に見られる事件のうち、『水滸伝』の元になったと思われるものとしては、 北宋末、梁山泊という大沼沢があり、盗賊の拠点となっていたこと。 宰相蔡京が朝政を壟断し、徽宗皇帝は書画骨董や造庭の道楽にふけり、各地から奇石を徴収する「花石綱」を課したこと。 山東から淮南にかけて(斉・魏)に「宋江三十六人」と称する盗賊が暴れ回っていたこと。 亳州知事侯蒙が朝廷に、宋江の罪を赦して将軍に取り立てて方臘討伐に役立てるよう献策したこと(実際には侯蒙の死により実現せず)。 宋江が海州に侵入した際、朝廷が知事の張叔夜に命じて、宋江を投降させたこと。 北宋と契丹(遼)との間に度重なる紛争があったこと。 江南地方で方臘が反乱を起こし、朝廷から鎮圧されたこと。 方臘征伐軍の中に宋江という名の将軍がいたこと。 などが挙げられる。ただしこれらの事象どうしの間には、本来全く関係はない。山東の盗賊宋江三十六人が梁山泊を拠点にした事実はなく、方臘を討伐した将軍宋江が盗賊宋江と同一人物かどうかも不明である(後述)。宋と契丹(遼)との戦いも、史実ではほぼ契丹側の勝利に終わっており、『水滸伝』のように宋側が鮮やかな勝利を挙げたことはほとんどない。また「宋江三十六人」とは宋江とその他36人なのか、宋江を含めた36人なのか、それとも36という数字自体にはそれほど意味が無く、人数が多いということを表現したかったのかもよく分かっていない。 しかし、これらの断片的な史実のエピソードをつなげていくことで、水滸伝の核となるストーリー、すなわち「朝廷が腐敗した北宋末期に、宋江ら諸事情により盗賊に身を落とした者たちが梁山泊に集い、やがて朝廷に帰順して、その命により遼や方臘を征伐する」という流れが形成されていった。
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