史実と『太平記』の違い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/01 18:45 UTC 版)
「上赤坂城の戦い」の記事における「史実と『太平記』の違い」の解説
史実との違いとして、まず日付が挙げられる。史実では2月22日に始まって閏2月1日に終わり、計10日間の戦いだが、『太平記』では2月2日に開戦し、終期は不明だが少なくとも25日間以上は戦っている。 また、史実では楠木正成の弟(正季?)も守将として参戦しているが(『楠木合戦注文』『神明鏡』)、『太平記』には登場しない。 史実の人見六郎入道をモデルとした人見四郎入道恩阿と、史実の本間九郎をモデルにした本間九郎資忠の「抜け駆け」が有名だが、これも創作である。歴史的事実としての一番槍は本間又太郎と与三であり、九郎父子はいわば「二番槍」となっている(『楠木合戦注文』)。とはいえ、本間九郎父子はこの戦いで最初に戦死した武将であり、人見入道はその甥と従者と共に計14人が一度に討死しているから、彼らの死が実際の合戦においても上赤坂城の戦いの中での印象的な出来事だったことに間違いはない。 後藤丹治の『太平記の研究』に拠れば、二人の「抜け駆け」は『平家物語』巻9「一二之懸」を下敷きにしているという。また、物語に時宗の僧侶が登場するのは、人見氏が時宗の一乗寺を建立するなど時宗の庇護者だったことも関係があるのではないかと指摘されている。 幕府が用水設備を破壊して勝ったことも、一次史料の『楠木合戦注文』には見られない。
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