土管 土管の概要

土管

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/14 15:32 UTC 版)

ダキアの土管。

概要

様々な土管の例

排水路煙突 等々に用いる[1]

管同士を接続するため、ソケット、継手としての役割を持たせるように管の一方が膨らんだ独特の形状をしている。素焼き状のものもある一方で、釉薬で仕上げてあってツヤがあるタイプもある。

粘土を成形し、乾燥後、窯で焼成する。管径は様々で、6 cmほどのものからある。管の色は主に赤茶色(褐色)で黄色味のある物から焦げ茶色の物がある。

古くは日本では明治時代から下水管用として重用され、一部は昭和50年代頃まで中堅規模の雑排水の下水管を中心としてに多く埋設された。

現在では、素焼土管が農地宅地運動場などの過剰な地下水を排除するための暗渠排水用の吸水管として利用されている。

陶器の一種であるため、強度、耐食性、耐薬品性に優れ、機能寿命が長い。

産地・歴史

中国

中国で出土した最古の土管は、紀元前2100年頃のもので、河南省の平糧台古城遺跡[2] で発見された。城は四方が城壁で囲まれていたので、城内の排水用に城門の下に土管が使用された。長さ30~45センチメートルで、外側には縄文などの文様がついている。始皇帝の時代になると土管と合わせ古代中国では数少ない石管が使用された。漢代(紀元前202年~8年)に煉瓦に分類される塼管が多く使用され、唐代(618年~ 907年)には、建物も塼が広く使用され塼管も同様で他の材質の土管の発見例はとても少ない[3]

日本

  • 中国の土管技術が朝鮮半島を経由して、6世紀に日本に渡来した[4]。それら、古代日本の土管には、土器タイプと瓦タイプの2通りの製作技法があり、塼管は塼の建物墓室の使用例はあるが見つからない。土管の、出土例は限られている。その初見は、飛鳥時代飛鳥寺の塀の西門の外側に、直径は最大で約20センチメートル、長さは最長で56.5センチメートル、最短で46.6センチメートルの瓦製の差し込み式の土管41本が、1996年8月奈良文化財研究所の発掘調査で発見された。南北100メートル以上続く管の一部である。飛鳥寺創建すぐの7世紀初頭の遺溝で、発見時点から2020年代では、日本初の土管である。土管製作は寺院建設の瓦工人に突発的に命じられたものと見受けられ、丸瓦の製作技法を応用して作られている。飛鳥の7世紀のものでは川原寺からも土管が出土している[5]
  • 江戸時代末期に尾張国常滑連房式登窯が導入され、素焼きや、褐色の自然釉の真焼の土管が製造された[6]弘化年間に美濃国の江戸藩邸に納品した記録がある[7]明治時代、愛知県常滑市で、鯉江方寿が、当時の素焼管より高温で焼き締めて強度があり、水漏れしない真焼土管を、多量製造した。1872年(明治5年)鯉江が木製木型での機械成型によるイギリス式真焼土管の製造法を完成させた。その後、常滑で1901年(明治34年)以降、スクリュー式やピストン式、ロール式の土管製造機が導入された[8]。同地の土管生産量は全国の半数を超え、昭和時代までさかんに製造された。同地では現在も造られている。
  • 北海道では江別市が、粘土が豊富で、製造がさかんである。

ヨーロッパ

地中海東部のクレタ島クノッソス宮殿から発掘された、約紀元前3,000年と判定された水道管に使用された陶製の土管が、現在までのところ世界最古のものである。長さ76センチメートルで細口側に次の上管の端を支えるやや突き出したつばがついている。その土管の中には胴部に把手がついていて、次の土管と互に連結工事がしやすく工夫されたものもあった[9]。1858年フランスオットヴァイラーで、ライヒネッカーにより土管の機械成形技術が発明され、すぐに全欧州に普及し、やがて世界に広まっていく[10]

コンクリート製とその難点

海辺に放置されたコンクリート土管

コンクリート製の土管が作られることが増えていった。コンクリート製は粘土製とは製造方法が異なり、型の中にコンクリートを流し込み、固まるのを待つ。大きさは様々で、大きいものではトラックが通れるほどの大きさのものもある。

主に下水道管など地中埋設用に用いられる。

下水道内には硫黄を含んだ化合物が流れているため、下水中で硫酸塩還元細菌により硫化水素が発生し、さらには水中から硫化水素が出ると、今度は硫黄酸化細菌により硫酸が発生するために、コンクリート製の土管が腐食するという問題も起きている[11]

また、酸性の廃液が流れてもコンクリート製の土管の腐食は起こる。道路の下に埋設されている下水管が腐食し、崩れて道路が陥没する事故も起こっている。

近年では施工のしやすさを考慮して、小径のものは硬質塩化ビニル管で代用する場合も多く、その場合、敷設後には周囲にコンクリートを流し込んで補強することも多い。


  1. ^ a b 広辞苑[要文献特定詳細情報]
  2. ^ 中国百貨知識「平糧台古城遺址」 2020年4月29日閲覧
  3. ^ 柿田 1992, pp. 5–6.
  4. ^ 柿田 1992, p. 3.
  5. ^ 小野木 2006.
  6. ^ とこなめ焼協同組合HP「常滑焼の歴史」 2020年4月22日閲覧
  7. ^ セラミックス博物館 2020年4月22日閲覧
  8. ^ 『INAXライブミュージアム』「窯のある広場・資料館」"常滑の土管"-LIXILの文化活動HP2012年1月4日閲覧
  9. ^ 柿田 1992, p. 4.
  10. ^ 柿田 1992, p. 5.
  11. ^ 日本下水道事業団『いまさら訊けない下水道講座7〈硫酸によるコンクリート腐食〉』 2020年4月29日閲覧
  12. ^ 夏目房之介『マンガの力 - 成熟する戦後マンガ』晶文社、1999年、pp.48-49
  13. ^ 夏目房之介『マンガの力 - 成熟する戦後マンガ』晶文社、1999年、p.247
  14. ^ 2018年3月5日「空き地に土管は何故あった?」-トレンド情報『ヨムーノ』2021年1月9日閲覧
  15. ^ 用語集 土管」『KDDI株式会社』 KDDI株式会社、2014年3月7日
  16. ^ どかんや【土管屋】の意味 - 国語辞書 - goo辞書


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