土管の墓
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/05/07 02:56 UTC 版)
本通墓地の一角には、先のとがった円筒形をした珍しい形状の墓が6基並んでいる。これらは愛知県出身の瓦職人・野田荒吉によるもので、材質も瓦同様に焼き固めた土である。 荒吉は1884年(明治17年)に稼動を始めた鈴木煉瓦製造場の職人で、その優れた技量から焼き上げた瓦は札幌師範学校や札幌市立高等女学校、歩兵第25連隊兵舎の屋根に使われた。 職人気質の荒吉は「自分の墓は自分で焼いて造る」と語っており、宣言どおりに自分や家族の墓を土管で設えた。ほかにも知人に頼まれて墓を焼いたことがあったようだが、現存する6基はすべて野田家のものである。
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