土筆ヶ原
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 17:06 UTC 版)
明治屋広尾ストアー等が入る広尾プラザや都営広尾五丁目アパートのある広尾五丁目から、都立広尾病院や慶應幼稚舎のある恵比寿二丁目にかけての平坦地一帯は、かつてツクシがたくさん生えていたことから「土筆ヶ原」(つくしがはら)と呼ばれ、江戸時代には 『江戸名所図会』の挿絵にも見られるように庶民の遊歩散策の場所となっていた。 現在、広尾五丁目の商店街(広尾商店街)となっている辺りの町は正徳3年(1713年)に町並地となり町方支配となった。町は1945年(昭和20年)のアメリカ軍による東京大空襲でも被災を免れて明治・大正の建物が多く建ち、近年まで昔の面影が残されていた。土筆ヶ原の中心に当たる外苑西通り・天現寺交差点近くに建つ都営広尾五丁目アパートの場所には、かつて都電の車庫が置かれていた。
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