フィリピン軍 フィリピン軍の概要

フィリピン軍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/16 02:57 UTC 版)

フィリピン軍
創設 1897年3月22日
派生組織 フィリピン陸軍
フィリピン海軍
フィリピン空軍
フィリピン海兵隊
指揮官
大統領 ボンボン・マルコス
国防長官 ギルベルト・テオドロ
参謀総長 ロイ・ブラウナー
総人員
兵役適齢 18 - 56歳
徴兵制度 志願制
現総人員 150,000名
財政
予算 43.1億ドル(2023年)[1]
軍費/GDP 0.97%
関連項目
歴史 太平洋戦争
朝鮮戦争
ベトナム戦争
対テロ戦争
マラウィの戦い
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歴史

創成期

フィリピン・スカウト英語版(1905年)

フィリピンは、当初はスペインからの独立を目指したフィリピン独立革命を、のちにはアメリカ合衆国による植民地支配に抵抗して米比戦争を戦った。この結果として、アメリカ植民地時代のフィリピンは、独自の軍隊を持たなかった。1901年には、対反乱作戦を遂行するためにフィリピン警察軍英語版 (PC)が創設されたものの、これは治安部隊に留まっており、フィリピンの防衛については、アメリカ軍の駐留部隊が全責任を負っていた。駐留アメリカ軍の主力は1913年に設置されたアメリカ陸軍フィリピン部英語版で、約1万人の兵力を有し、うち半数はフィリピン・スカウト英語版 (PS) と呼ばれる現地人志願兵から成っていた[2]

1934年アメリカ合衆国議会フィリピン独立法を可決し、1935年にはフィリピンの独立方針が認可され、これを受けてフィリピン独自の戦力の整備が決定された。フィリピン・コモンウェルス(独立準備政府)の初代大統領となったマニュエル・ケソンの要請で、アメリカ陸軍のダグラス・マッカーサー少将ドワイト・D・アイゼンハワー少将らが軍事顧問として派遣された[2]

マッカーサーらは、独立予定の1946年までに、常備軍1万人(従来の警察隊員6千人を含む)と予備役40万人のフィリピン陸軍PA)を整備する計画を立案した。フィリピン全土を10個管区に分けて、有事の際には各管区で7500人規模の予備役師団を編成、常備師団1個と合わせて11個師団となる計算だった。この計画には魚雷艇36隻を有する沿岸警備部隊と、高速爆撃機100機を有するフィリピン陸軍航空軍も含まれていた。マッカーサーは、計画達成の暁には、あらゆる侵略に対抗できる自衛戦力が備わると評価していた[3]。しかし、財政的問題や士官の不足などから、その整備は遅々として進まず、最終的に、フィリピン軍は、体制未整のままで太平洋戦争に突入することを余儀なくされた。

大戦前夜

フィリピン兵にブローニングM1917重機関銃の操作を教えるアメリカ兵

日米関係の悪化を受け、1941年9月1日よりフィリピン陸軍の動員が開始された。12月15日編成完了を目途に、10個管区でそれぞれ1個師団の動員が進められたものの、開戦時点で、各師団の動員状態は2/3が進行した程度であり、動員済みの部隊も装備や訓練は不完全だった。

各師団は3個歩兵連隊と2個砲兵大隊、対戦車砲大隊などから構成されるはずだったが、訓練まで終えたのは各1個歩兵連隊程度に過ぎなかった。例えば、11月18日に誕生した第31師団の場合、隷下の第31歩兵連隊は9月1日に動員済みだったものの、2番目の第32歩兵連隊(11月1日動員)は師団戦列に合流したのが12月6日、3番目の第33歩兵連隊に至っては11月25日にようやく動員着手という具合であった。最初の砲兵大隊である第31砲兵大隊の動員着手は開戦後の12月12日で、2個の砲兵大隊が揃ったのはバターン半島での籠城戦の最中だった。対戦車砲大隊は編成されないままに終わった[4]

兵器や弾薬の不足も著しかった。これもフィリピン陸軍第31師団の例で見ると、分隊支援火器のはずのブローニングM1918自動小銃は1個中隊に1丁、師団砲兵用の75mm野砲は照準器が無い8門だけが配備された。小銃と重機関銃はそれなりに数が揃っていたが、旧式のブローニングM1917重機関銃(各機関銃中隊に8丁)とスプリングフィールドM1903小銃だった。弾薬不足は訓練にも影響し、9月に動員された第31歩兵連隊が最初の実弾射撃訓練をしたのは11月24日という有様だったが、実弾射撃経験無しで実戦投入された他の多くのフィリピン陸軍部隊よりは恵まれていたという[4]

また、フィリピン陸軍の沿岸警備部隊はイギリス製の魚雷艇36隻の配備を計画していたが、第二次世界大戦の勃発でイギリスからの輸入は2隻のみしか実現しなかった。代わって現地生産が試みられたが、1隻完成しただけだった[5]

このほか、フィリピン陸軍兵士に軍事教育を施すときには、言葉の壁も問題となった。教官となったアメリカ人兵士は英語しか解さず、フィリピン・スカウト出身者などの幹部はタガログ語を使い、同じフィリピン人でも一般兵士は出身地域ごとの言語を話した[6]。それでも、次第に信頼関係は出来ていったという。

太平洋戦争

ユサッフェ・ゲリラを称えるアメリカのプロパガンダポスター

1941年12月8日クラーク空軍基地への航空攻撃を端緒として日本軍による攻撃が開始され、フィリピンの戦いが勃発した。本間雅晴中将指揮下の第14方面軍主力は22日より上陸を開始、フィリピン陸軍は、アメリカ極東陸軍とともに、これを迎撃した。しかしフィリピン陸軍は装備・訓練ともに不足しており、日本軍の迅速な作戦展開もあって、1942年1月2日には首都マニラが陥落した。ただしこの際、米比軍はバターン半島への撤退に成功し、以後、4月9日までバターン半島での抵抗を継続した。バターン半島の部隊が降伏したのちもコレヒドール島ミンダナオ島ビサヤ諸島で戦闘が継続されたが、5月6日、コレヒドール要塞の陥落に伴って、全部隊に対して降伏が命令された。

しかし降伏命令が発せられた後も、元アメリカ極東陸軍の兵士の中には、ユサッフェ・ゲリラを名乗って日本軍に対するゲリラ戦を継続する者があった。旧フィリピン・スカウトやフィリピン陸軍の装備や指揮系統、そして兵士たちの訓練と戦闘経験が活用された。このユサッフェとは、アメリカ極東陸軍の頭字語USAFFEに由来するものである。

ユサッフェは、米比軍の正式区分だった全10管区を引き継ぐ形で軍管区司令部を設置し、総兵力約22,000名によるゲリラ戦を展開した。アメリカ軍もユサッフェ・ゲリラの活用を考え、潜水艦などで武器や通信機といった補給物資、連絡員を送り込み支援した。レイテ・比島作戦が進行するにつれアメリカ軍が武器を供給したこともあり、その数は一気に27万にまで膨れ上がり、諸戦において有力な戦力となった。連合国軍のフィリピン反攻作戦の際には、アメリカ軍の正規部隊と連絡を取って共同作戦を展開し、掃討戦などで成果を上げた。日本軍が数々の努力をしていたにもかかわらずほぼ無力で撤退していくことになったのは、このユサッフェらの影響も大きい。 マッカーサーは「フィリピン兵が一万人いれば私は世界を征服するだろう」と発言してユサッフェをたたえた [7]

大戦後

アメリカ陸軍特殊部隊群と共同演習を行なうフィリピン陸軍第1師団の兵士。

1946年7月、フィリピン第三共和国が成立し、正式に独立が達成された。しかしアメリカへの依存関係を脱却するには至らず、軍事的にも、1947年に締結された比米軍事基地協定によって冷戦構造の中で合衆国の反共主義の前線基地として位置づけられ、実質的な独立を達成できなかった[8]

大戦中、フィリピン軍・アメリカ極東陸軍を母体とするユサッフェ・ゲリラとともに、農民運動を母体とした抗日武装組織としてフクバラハップが結成されていた。大戦中は両者の関係は良好であり、しばしば協同して作戦行動を行なった。しかし戦後共和国政府は徹底してフクバラハップを敵対視し、1948年3月にはロハス政権によってフクバラハップと全国農民同盟は非合法化され、ルソン島では政府軍と地主の私兵とフクバラハップとの間で戦闘が繰り広げられた。フクバラハップは、一時は首都攻略まで噂されるほど勢力をのばしていたものの、アメリカからの軍事援助を受けたフィリピン軍が勢力を盛り返し、ラモン・マグサイサイ国防相による討伐作戦によって1950年10月には共産ゲリラの司令塔だったフィリピン共産党 (PKP)が壊滅し、翌1951年にはフクバラハップそのものも実質的に壊滅に追い込まれた。

しかしフクバラハップ支持の源泉であった農村問題に対する農地改革は不徹底に終り、1965年以降のフェルディナンド・マルコス大統領による独裁体制に対する反発もあり、1960年代末にはフィリピン共産党 (CPP) の武装部門である新人民軍(NPA)および民族民主戦線(NDF)、1970年にはモロ民族解放戦線(MNLF)が武装闘争を開始、フィリピン軍は再び対反乱作戦を余儀なくされることとなった。

この一方で、フィリピン軍は、国連軍の一員として朝鮮戦争に参戦した。韓国派遣フィリピン軍(PEFTOK)は、第2,10,14,19,20の計5個大隊戦闘団より編成され、兵力7,500名、国連軍で4番目に大きな勢力であった。

また、フィリピン軍は国際連合平和維持活動など、海外での戦争以外の軍事作戦にも積極的に参加している。主な参加活動は下記のとおりである。

国防改革プログラム

国防改革プログラムのロードマップ

フィリピン軍の装備更新は遅れがちであり、アジア最弱の軍隊と指摘されることもあった[9]。1999年10月、フィリピン国防省アメリカ国防総省は、共同防衛評価(JDA)計画を開始した。2003年に発表された報告書(2003 JDA)は、フィリピン軍には、もっとも重要な任務であっても、部分的に遂行できる程度の能力しか備わっていないという、驚くべき指摘を行なった。

2003 JDAは、具体的に、下記の各領域での問題点を指摘した。

  • 政策立案への体系的なアプローチ
  • 人事管理とリーダーシップ
  • 防衛費と予算
  • 装備の取得
  • 補給・整備
  • 既存装備の品質保証
  • 施設支援

2003年10月、ジョージ・W・ブッシュアメリカ合衆国大統領がフィリピンを訪問した際、グロリア・アロヨ大統領とともに、JDAにより指摘された問題点を解決するための施策の推進を発表した。これを受けて2004年、フィリピン軍は、フィリピン国防改革プログラムPhilippine Defense Reform, PDR)を発動した。これは、国防部門の短期的・長期的改革を目的としたもので、下記の10要件を備えている[10]

  1. 複数年度防衛計画システム(MYDPS)
  2. 情報・作戦・教育訓練の能力向上
  3. 兵站の能力向上
  4. 専門能力開発プログラムの改良
  5. 人事管理システムの改良
  6. 複数年度能力向上プログラム(CUP)
  7. 防衛予算の最適化とマネジメントの改善
  8. 専門要員による、国防装備の取得に関する中央管理システム
  9. 戦略レベルでの通信能力の開発・獲得
  10. 情報管理の開発プログラム

PDRは、フェーズ1: 下地作り(2004〜5年)、フェーズ2: 防衛体制の確立(2005〜7年)、フェーズ3: 改革の遂行と制度化(2007〜10年)の3つのフェーズに分けて進められる計画であった。計画の進捗はおおむね順調であるが、主に予算不足により、その影響は、期待よりも限られたものとなる恐れが指摘されている[11]

PDRによる機材更新の一環として、作戦機としてFA-50戦闘爆撃機C-295戦術輸送機、またドック型輸送揚陸艦としてターラック級輸送艦英語版などが配備された。今後はさらなる国防個人装備の近代化と輸送艦の輸入及び新造などを進め、洋上哨戒と偵察能力を重視した領海監視海軍機を導入する。現状で自立した国防体制と軍事同盟による集団的安全保障体制を両輪とし、共同演習も含むASEAN諸国海軍との交流強化と南シナ海でのフィリピン領島嶼部への国防体制を最優先とし、新たに輸送部隊やフィリピン海兵隊用基地新設も含め検討しており、島嶼国家フィリピン共和国の国防体制を、国防改革プログラムに沿って進め2020年代までに強靭な体制を確保し、さらに首都マニラ付近海域での沿岸警備隊も増設し、発展させるとしている。

編制

フィリピン軍は、平時より統合運用を行なっている。すなわち、全ての実戦部隊は、7つの地域別統合コマンドのいずれかに編入されており、各軍種はフォース・プロバイダーの役割に徹している。これは、アメリカ軍統合軍方式に近い体制である。


  1. ^ Senate panel OKs proposed 2015 DND budget” (英語). GMA NEWS (2014年10月3日). 2015年2月21日閲覧。
  2. ^ a b Morton, p.9
  3. ^ Morton, p.12
  4. ^ a b Morton, pp.28-30
  5. ^ Morton, p.13
  6. ^ Morton, p.27
  7. ^ MacArthur, Douglas (1964). Reminiscences of General of the Army Douglas MacArthur. Annapolis: Bluejacket Books. ISBN 1-55750-483-0. p.103
  8. ^ 池端、生田(1977:145-146)
  9. ^ プラシャント・パラメスワラン (2015年7月31日). “フィリピン、中国との領有権争いの切り札は”. ニューズウィーク. http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2015/07/post-3809.php 2015年8月2日閲覧。 
  10. ^ Comer 2010, p. 8, Philippine Defense Reform (PDR), globalsecurity.org, DND and AFP: Transforming while Performing Archived 2006年1月28日, at the Wayback Machine., Armed forces of the Philippines.
  11. ^ Comer 2010, p. 36
  12. ^ a b 荒木雅也「各国の海兵隊〈5〉」『PANZER』第550号、アルゴノート社、2014年2月、52頁。 
  13. ^ International Institute for Strategic Studies (25 February 2021). The Military Balance 2021. London: Routledge. p. 294. ISBN 9781032012278. https://www.iiss.org/publications/the-military-balance/the-military-balance-2021 
  14. ^ a b SIPRI arms transfer database”. Stockholm International Peace Research Institute (Information generated in 17 June 2011). 2011年6月21日閲覧。
  15. ^ a b International Institute for Strategic Studies (25 February 2021). The Military Balance 2021. London: Routledge. p. 294. ISBN 9781032012278 
  16. ^ US Coast Guard Transfers High Endurance Cutters Hamilton and Chase to the Philippines and Nigeria”. US Coast Guard (2011年5月). 2011年6月15日閲覧。
  17. ^ a b 海人社「世界の艦船 2012年12月号」
  18. ^ 「海外艦艇ニュース フィリピンがイスラエルから戦闘艇を調達」 『世界の艦船』第953集(2021年8月特大号) 海人社 P.183
  19. ^ Navy Journal Yearend Edition 2009, page 14.Navy Public Affairs Office, Headquarters - Philippine Navy, 2009
  20. ^ AFP submits P42B wish list to House defense panel”. Malaya (2011年1月27日). 2011年1月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年1月29日閲覧。
  21. ^ AFP needs P42.1 billion for security program”. Philstar Online (2011年1月27日). 2011年1月29日閲覧。
  22. ^ 日本がフィリピン軍に練習機の供与検討、海上監視に利用=関係者 | ロイター
  23. ^ 防衛省・自衛隊:大臣臨時記者会見概要 平成28年5月2日(17時47分~18時00分)
  24. ^ 海自機2機、フィリピンに引き渡し 初の貸与 日本経済新聞 2017年3月27日付
  25. ^ “日本が比軍に自衛隊機を貸与へ、譲渡できず苦肉の策”. ロイター. (2016年5月2日). http://jp.reuters.com/article/philippine-president-aquino-idJPKCN0XT0ME 2016年5月3日閲覧。 
  26. ^ 海自練習機、比に無償譲渡=安保能力向上を支援”. 時事通信 (2017年10月26日). 2017年12月10日閲覧。
  27. ^ “海自練習機 比に譲渡 無償で初、中国進出念頭”. 日本経済新聞. (2018年3月26日). https://www.nikkei.com/article/DGXMZO28565480W8A320C1EAF000/ 2018年7月30日閲覧。 
  28. ^ フィリピン空軍、10年ぶりの超音速戦闘機 KAI FA-50PHクラークに到着
  29. ^ フィリピン沿岸警備隊海上安全対応能力強化事業(フェーズ2)事業評価”. 独立行政法人 国際協力機構. 2023年11月25日閲覧。
  30. ^ Bloodline: New PCG commandant is a third-generation uniformed officer” (英語). Manila Bulletin. 2023年11月25日閲覧。
  31. ^ Publisher, Web (2021年1月25日). “Marina, Coast Guard see lower 2020 budget, CAB gets more” (英語). PortCalls Asia. 2023年11月25日閲覧。
  32. ^ フィリピン共和国向け円借款契約の調印
  33. ^ フィリピン共和国運輸通信省向け 「40m 級多目的船 10 隻建造及び特別予備品の納入」(ODA 案件)の受注
  34. ^ 東南ア、軍備増強へ動く シンガポールは独から潜水艦”. 日本経済新聞電子版2017年5月17日. 2017年6月7日閲覧。
  35. ^ フィリピンに大型巡視船5隻追加へ 日本が供与”. 日本経済新聞 (2023年10月19日). 2023年11月24日閲覧。


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