チベット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/02 19:30 UTC 版)
交通
民族
チベットでは人口の95%前後をチベット族が占めている[6]。チベットの全域にわたってチベット民族が居住するほか、東北部アムド地方の青海草原や、中央チベットのダム草原にはソク族(sog po, デート・モンゴル)、カム地方の北部(玉樹州、ナクチュ地区の東部)にはホル族と呼ばれるモンゴル系の遊牧民が居住する。またアムド地方の東端、中華人民共和国の行政区分で海東市とされる地方は、伝統的に漢人や回民、その他の諸民族が多数居住してきた河西回廊の一角を成す。
国際関係
チベット問題
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中国のチベット支配にともなって発生した各種の問題を「チベット問題」ともいう。中国政府とチベット亡命政府の間で発生した過去の歴史認識、中国政府による「チベット統治の成果」に対する評価、また中国による多数のチベット人の人権侵害などについて議論がある。
朝日新聞によれば、中国がチベットの独立を認めない理由のひとつに、チベット地域にあると推定される大量鉱物(推定資源価値は6500億元、日本円で10兆以上)の利権があるとされる[7]。
2001年には、ベルギー・フランスの漫画タンタンの冒険旅行シリーズ「タンタンチベットをゆく」の中国語版が「タンタン 中国のチベットをゆく」と題名を著作権者に無断で変えられたため、出版が一時停止された[8]。
2008年、チベット騒乱が起こる。また、2011年にはチベット僧侶による中国政府への抗議の為の焼身自殺が相次ぎ、国際的に問題視されている[9]。
チベット亡命政府の現在の政治最高指導者(シキョン)は、首相のペンパ・ツェリン。
中華人民共和国の支配に対するチベット人の抵抗運動についての詳細は「チベット独立運動」を参照。
中国による核関連施設
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中国はチベット地域に核廃棄物処理場建設等を進めてきていたことが近年明らかになっており、中国側もこれらの施設の存在については現在は否定していない。
- 放射性廃棄物処理施設
1992年の有害廃棄物の国境を越える移動及びその処分の規制に関するバーゼル条約では、輸入国の同意なしの有害廃棄物の輸出を禁止しているが、中国はこれに調印している。1993年の人権世界会議(World Conference on Human Rights)により採択されたウィーン宣言及び行動計画では、「毒物および危険物質の不法投棄は、人類の人権、生命、そして健康を脅かす重大な問題となりうる」[10] とされ、1998年の会議では「特定の工業国が有害廃棄物リサイクルによって利益を得ることがないようにしなくてはならない」とされたとき、中国はこれを支持した[注釈 3]。
一方で中国はチベット高原のチベット側に廃棄物を投棄してきた[11]。1984年には、中国は60億ドルでヨーロッパの原子炉の4千トンの放射性廃棄物をゴビ砂漠に保管している[12]。ダライ・ラマ法王は、中国政府が西欧諸国など海外の核廃棄物をチベットに投棄する計画について明らかにしている。ほかにも海外の廃棄物を中国が受け入れることについては、例えば1991年には米国メリーランド州ボルチモア市の下水汚物[注釈 4] 2万トンが中国に144万米ドルで輸出された。仲介した海南陽光グループは、中国の輸入規則では輸送に政府の承認は不要とした。しかし、米国ミルウォーキーの下水処理施設では汚染物質と筋萎縮性側索硬化症の発生との関連がグリーンピースによって報告されるなど、廃棄物の汚染の危険性が抗議され、このチベットへの汚物輸送は中止となった。
中国は1991年4月、チベットにおける核兵器の配備と核廃棄物により核汚染が広がっているという主張に対し「全く根拠のない話」としたが、チベットへの核廃棄物投棄を認めている[13]。中国核国営公社(China National Nuclear Corporation)のユー・ディーリャンは「中国は、89年から93年まで、多大な費用をかけ、閉鎖された核兵器基地の環境状況の厳重管理にあたった」と述べている。
1993年 、リシュイ(Reshui)とガンズィ(Ganzihe)近辺で病気の発生率が異常に高いという、現地のチベット人医師タシ・ドルマの報告によると、「第九学会」と呼ばれる核基地付近で放牧していた遊牧民の子供たちのうち7人がガンで死亡した[14]。1993年時点で中国は、甘粛省西側の乾燥地帯に初の放射性廃棄物投棄センター建設をはじめ、さらに中国南部、南西部、東部に建設を計画中であった[15][注釈 5]。廃棄物の地層処分についても現在は深層処分が主流であるが浅層処分技術についても、中国は 「充分に安全」と考えている。高レベル放射性廃棄物(HLW)用地について、中国政府関係者は、「中国には広大な配分地区があり、用地を見つけることは困難ではない」とし、チベットは北京からも離れているため「核廃棄物を投棄するには最適」ともされる[11]。
1995年7月には、海北チベット族自治州のココノール湖附近に「20平方メートルに及ぶ放射性汚染物質用のごみ捨て場」があり、「軍の核施設(第九学会)により廃棄物は出たが、安全性は30年間完全に保たれ、環境への悪影響、基地で被爆者が出たことはない」と公式に発表した[16]。しかし、核廃棄物が当初の保管の仕方、また現在の管理の仕方、および危険性の調査について詳細は公表されていない。
1997年、北京のシンポジウムで中国は、台湾の核専門家に対し「台湾で累積される放射性廃棄物の投棄場を提供する。6万バレルの核廃棄物を引き取る」と申し出たが、台湾は断っている[17]。
- 核ミサイル発射基地
チベット側の主張では、チベット四川省のツァイダム(二カ所)、テルリンカ、青海省と四川省の境界の四カ所にミサイル発射用地が整備されているとしている[18]。また、ラサのドティ・プゥ[注釈 6]にもミサイルが格納されているとする。インドのバンガロールにあるジャーナリスト・カルナタカ組合による 「ジャーナリストとの対話」プログラムにおいてダライ・ラマ法王は、中国によるチベット核兵器工場建設について確実な情報を入手したと主張している。
- このほか、中国は、70年の初頭に、アムドの北西部先端にあるツァイダム盆地にDF-4ミサイル発射用地を完成させ、核ミサイルを配備した。小ツァイダム(Xiao Qaidam,Smaller Tsaidam[注釈 7])には、射程4,500~7,000キロメートルの「東風4」(DF-4)が配備されており、緊急時には大ツァイダム(Da Qaidam ,Larger Tsaidam[注釈 8])に核ミサイルが移送される。
- テルリンカ(Delingha ,Terlingkha[注釈 9])には、DF-4大陸間弾道ミサイル(ICBM)が格納されている[22]。テルリンカはアムドにある4つのミサイル発射用地の連隊本部でもある。
2008年のチベット騒乱とその後の動向
2008年3月にはチベット全土でダライ・ラマ側のテロリズムの暴動が起き、中国の警察によって制圧された(2008年のチベット騒乱)。死者数203人、負傷者は1千人以上、5,715人以上が拘束されたといわれる[注釈 10]。ダライ・ラマは「中国は文化的虐殺(ジェノサイド)を行っている」として中国政府を批判した[24]。中国政府によるチベットのデモ弾圧に対しては世界各国より批判が集中した。しかしこの「暴動」(中国政府はデモでなく「暴動」と認定)を好機と捉えた中国政府は徹底的なチベット独立派への取り締まりを行い、ラサ市内に多く居住していたチベット独立派は壊滅的打撃を受けた。
- 「農奴解放記念日」問題
2009年1月19日のチベット自治区人民代表大会において、1959年のダライ・ラマ14世のインド逃亡後にチベットが中国に接収された事で、「それまで貴族に所有されていた農奴達が解放された事を記念する」として、3月28日を「農奴解放記念日」とする事を採択した[25][26]。これに対してチベット亡命政府は「農奴解放」という言葉を使う事こそが反奴隷制度を正当化し、チベット貴族の感情を傷つけるものだとし、これに批判した[27]。
- チベット族高校生による暴動
2010年10月19日に、中国チベット族治州同仁県で、チベット民族の高校生、5千~9千人が、六つの高校から合流して暴動行進し、地元政府役場前で、「民族や文化の平等を要求する」などと叫び、中国語による教育押しつけに反発して街頭抗議を行った。近年の教育改革で、全教科を中国語とチベット語で履修することが義務化されたことに、生徒が反発したものとされる[28]。
チベット人僧侶の抗議自殺
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2011年3月に中国四川省アバ県で若い僧侶が焼身自殺を図ったのをきっかけにして、僧侶や市民による大規模な抗議活動が広がった[29]。その後もチベット人居住地域で、僧侶が焼身自殺した。
米国政府による声明とその後の動向
米国務省では同年11月4日の記者会見で、相次ぐチベット族僧侶らの焼身自殺に懸念を表明し、中国政府にチベット族に対する「非生産的な政策」を改めるよう要求していることを明らかにした[9]。一方、中国政府は「焼身自殺はインドのチベット亡命政府の指示を受けたテロ」として非難している[30]。また8月の焼身自殺事件で、抗議自殺した僧侶と一緒にいた僧侶は、自殺をそそのかしたとして教唆犯罪を問われ、懲役13年の判決を受けた[31]。同年11月25日に人民日報ではダライ・ラマが焼身自殺を助長しているとする批判論評を掲載した[32]。また、英国のガーディアン紙がチベット僧侶を庇護する論調の報道を行った事に対して、中国の駐英国大使館が「歪曲報道である」と書簡で抗議を行っている[33]。
チベット問題に関してアメリカ合衆国政府は、2011年10月、米国上下両院と行政府共同「中国に関する議会・政府委員会」による年次報告を発表し[34]、さらに2011年11月3日には、米国議会で、トム・ラントス人権委員会[注釈 11]がチベットの人権弾圧について公聴会を開いた[34]。この公聴会では、チベット人亡命者らの証言も聞かれ、共和党のイリアナ・ロスレイティネン委員長が民主党ハワード・バーマン議員とともに、言論の自由や宗教・思想の自由への弾圧や、妊娠中絶の強制などについて「中国の弾圧は前年よりも悪化した」とした[34]。ほか、共和党のデービッド・リベラ議員は中国共産党指導部を「北京の殺戮者たち」と呼び、人道主義の普遍性から中国に強硬な姿勢を取ることを提唱した[34]。また、議長の民主党ジム・マクガバン議員は「かつてチベット鎮圧策を担当した胡錦濤国家主席にまで抗議すべきだ」と発言、フランク・ウルフ議員は「チベットは本来、中国とは別の国家だった。その民族をいま中国当局は浄化しようとしている」と非難した[34]。
- 2012年のチベット族による抗議自殺
2012年1月6日、チベット人の男性と僧侶2名が中国政府の統治に抗議してそれぞれ焼身自殺を行った。僧侶は死亡、男性の容態は不明である。2011年3月から数えて、チベット人の抗議の焼身自殺は14人となった[35]。また、1月8日には40代の転生ラマであるソナム・ワンギャルが、青海省ゴロク・チベット族自治州ダルラック県警察署前で、焼身自殺を行った[36]。遺体を押収した中国当局警察に対して、2000人のチベット人が抗議デモを行い、遺体の返還を要求した[36]。当局は返還に応じたが、チベット族は、ソナム・ワンギャルを讃えるポスターを張るなどの行動をとった。
翌1月9日、アメリカ国務省報道官は「チベットで新たに3人の焼身があったことは、米国にとっての深刻な懸念」と声明を発表した[36]。
また、1月14日、ンガバで、若いチベット人が焼身自殺を行ったが、遺体を押収した当局警察は遺体に対して足蹴にし殴打した[36]。これに怒ったチベット族およそ100人が抗議するが、中国武装警察は発砲、2名のチベット人が撃たれている[36]。
- 中国警察による発砲事件とチベット族による破壊行為
2012年1月、中国政府はチベット族に対して、旧正月をチベット式でなく、中国式で祝うように指示をした[37]。また正月直前の1月22日から毛沢東、鄧小平、江沢民、胡錦濤ら歴代4人の肖像画を100万枚、チベット自治区の寺院や家庭に配布している[37]。
このような中国政府の指示に怒ったチベット族は、同年1月23日、四川省カンゼ・チベット族自治州炉霍県(タンゴ)で抗議デモを行った[37]。自由チベットによると、中国人民武装警察部隊はこのデモを阻止するために、無差別発砲を行い[37][38]、この発砲で、2名から6名が死亡し、60人以上が負傷した[37][39]。在インドの僧侶イシェ・サンポによれば、「最初、数百人のグループがチベットの自由とダライ・ラマ法王の帰還を求めるスローガンを叫びながら行進を始めた。デモ隊が地元警察署前に差し掛かった時、警官が発砲。その場で2人が撃たれ死んだ」「デモは23日の朝に始まり今(現地時間午後3時半)も続いている。デモ参加者たちは破壊行為も行った。周辺にあった中国の店や中国関係の施設を壊した」という[40]。新華社通信によれば、デモ隊の一部は刃物を持ち、当直の人民警察と武装警察に投石し、公安派出所を襲撃し、警察車両2台と消防車2台を破壊し、商店や銀行ATMを打ち壊した[41]。武装警察の発砲に対して抗議するデモ参加者は5000人規模となった[37]。同23日、四川省アバ・チベット族チャン族自治州アバ県では、真言宗を唱える僧侶らのデモ行進を治安部隊が妨害し、暴行を加えた[37]。
この事件について、中国外務省の洪磊副報道局長は翌日の24日、「真実を歪曲し、中国政府の信用を傷つけようとする海外の分裂主義者の試みは成功しない」とチベット族およびチベット亡命政府を非難する談話を発表した[42]。
同1月24日、色達県(セルタ)でもチベット族のデモ隊と中国当局の治安部隊が衝突し、数十人が被弾し、亡命政府発表では5人が死亡した[37]。この事件に先立ち、22日と23日にも小規模な抗議デモが行われていたが、両日のデモは鎮圧されることはなかった[43]。
また、ダラムサラ・キルティ僧院によれば、23日にアムド、ンガバのメウルメ郷でナムツォ僧院僧侶を中心に約100人が平和的デモを行った。これに対し、当局は大勢の武装警官と軍隊を派遣。デモ参加者を殴打し、多くの参加者を拘束したという[40]。
2012年1月24日、米国務省オテロ国務次官(チベット問題担当調整官)は、同23日に発生した中国四川省でのチベット族住民への中国の治安部隊による発砲、および、チベット僧侶の抗議の意を込めた焼身自殺を受けて、「深刻な懸念」を表明し、中国政府によるチベット政策を「チベット族の宗教や文化、言語の存続を脅かす非生産的な政策」としたうえで、チベット族の人権尊重と中国武装警察隊への自制を要求した[44]。
同26日、アバ県に近い壌塘県(ザムタン)で、チベット族の群衆に向かって中国当局警察が発砲し、1人が死亡した[37]。
なお、中国の大衆からは、チベット人に対する同情の声はほとんどあがっていないとされる[39]。他方、同年1月にインドのブッダガヤでダライ・ラマ法王によって行われたカーラチャクラ灌頂には、中国人が1,500人も参加している[39]。なお、この行事に参加するチベット人を制限するために、中国政府は、チベット族へのパスポート発給を停止した[36] が、実際には8,000人のチベット人が灌頂を受けた。
日本との関係
チベットと日本の関係は、チベット仏教の研究からはじまっている。1899年、寺本婉雅が、 能海寛とともにバタンに入るがここから先に進めずに引き返す。1901年(明治34年)3月に河口慧海が日本人で初めてラサに入る(ただし、身の保全のため中国の僧侶と偽った)。1903年(明治36年)に帰国した慧海は、チベットでの体験を新聞に発表、1904年(明治37年)に『西蔵旅行記』を刊行した。慧海の報告はセンセーションを巻き起こした一方で、当初はその真偽を疑われた。英訳が1909年に“Three Years in Tibet”の題でロンドンの出版社から刊行された。
同1901年(明治34年)、探検家成田安輝がラサ入りしている[45]。
1904年、寺本が ラサに到達し、1908年にはロックヒル、大谷尊由と共に五台山にてダライ・ラマ13世と会見している。
1909年には多田等観がインドでダライ・ラマ13世に謁見。その場でトゥプテン・ゲンツェンという名前を授かり、ラサにくるようにと要請を受け、のち多田はラサでチベット仏教の修行を行う。
1911年(明治44年)3月4日、軍人で探検家の矢島保治郎がラサ入り。矢島は後にチベットの軍事顧問となる。
1912年には青木文教がラサ入りをした。雪山獅子旗のデザインに関与したともいわれる。1939年には野元甚蔵がチベットに滞在。
関岡英之によれば、大日本帝国陸軍は、満州、モンゴル、ウイグル、チベットやイスラム教勢力などを支援することによって、ソ連や中国共産党などの共産主義勢力を包囲する戦略として「防共回廊」政策があったと指摘している[46]。大日本回教協会を創設した林銑十郎や、板垣征四郎らが推進したといわれる。関東軍は満州を中心に、土肥原賢二らのハルビン特務機関がシベリアでの諜報活動、板垣征四郎少将率いる奉天特務機関が華北分治工作、松室孝良ら承徳特務機関が内蒙工作を展開するという三正面作戦を構えたとされ、このうち松室孝良は1934年2月に「満州国隣接地方占領地統治案」を起案し、そのなかで満州、モンゴル、イスラム、チベットの環状連盟を提唱した[46]。大日本帝国時代の諜報員に、西川一三がおり、 1945年に内モンゴルより河西回廊を経てチベットに潜行した。戦後、インドを経て帰国した。ほかに木村肥佐生も同様に諜報員としてチベットに入った。西川、木村にチベット入りを指示したのは東条英機であった[46]。
戦後、日本は1972年9月29日日中共同声明、及び1978年8月12日日中平和友好条約締結にともない、中華人民共和国との国交を正常化した。その際、中華人民共和国を正当な国家として認定し、かつ中華人民共和国に配慮し中華民国を独立した国家とはみなさないことを約束した。日本政府は現在までこの中華人民共和国優先政策を対中外交の基本姿勢としているため、チベット亡命政府を認知していない。そのため、ダライ・ラマ法王が2008年のチベット騒乱後、来日した際にも公式に日本政府が会見することはなかった。また、2012年2月現在、2011年、2012年のチベット族による抗議自殺についても表明は行っていない[36][37]。
戦後の研究では、川喜田二郎、山口瑞鳳、今枝由郎によるチベット学、中沢新一によるチベット宗教学研究などがある。市民運動では、TSNJ、酒井信彦(自由チベット協議会代表)らがいる。
中沢新一はチベット問題についてたびたび発言をしており、
と述べたり、また、ペマ・ギャルポとの対談[48] でも中国が市場経済にソフトランディングしていこうとしているが、独裁政権と市場経済は両立しないとしたうえで
「これをどういう方向でソフトランディングしていくかは、中国人だけでは解決不能だと思います。拡大していく市場というのは国際的な問題ですから、世界中の人間が知恵を出し合わないとこれは不可能でしょう」
「10億の民を包みこんでいる中国が崩壊したり解体したりすると、これは地球大的に悲惨なことが起こる。わたしたちはそれを求めないし、ダライラマ猊下もそんなことは求めない。ただそれを行うためには、いろんな形で私たちが智慧を出し合い、干渉をおこなっていかなければならないと思います」
と述べるなどしている。
映画におけるチベット
- 『農奴』(李俊監督。1963年) - 中華人民共和国が作成した映画。1965年、日本で公開。ストーリーは、ラマ僧侶と領主に搾取され続けた主人公の農奴が、人民解放軍に救助されるもの[49]。チベット人の作家ツェリン・オーセル(ウーセル)は、この映画を中国共産党によるプロパガンダ映画として批判的に論評している[50]。
- 『ゴールデン・チャイルド』 - 公開:1986年、製作国:アメリカ、上映時間:93分、監督:マイケル・リッチー、主演:エディ・マーフィ
- 『セブン・イヤーズ・イン・チベット』(1997年) - 中華民国時代のチベットに迷い込んだオーストリア人登山家ハインリヒ・ハラーが主人公の映画。本編中の中国によるチベット侵攻などの描写について中国政府が不快感を示し、中国では撮影および上映禁止となった。
- 『クンドゥン』(マーティン・スコセッシ監督、1997年) - ダライ・ラマ14世の半生を描く。
- 『風の馬』(WINDHORSE) - 公開:1998年、製作国:アメリカ、上映時間:97分、監督:ポール・ワーグナー。[注釈 12]
- 『キャラバン』(原題:Himalaya : l'enfance d'un chef) - 1999年、エリック・ヴァリ監督。フランス/ネパール/スイス/イギリス製作。第72回アカデミー外国語映画賞ノミネート。
- 『ヒマラヤを越える子供たち』(Escape Over the Himalayas) - 雪のヒマラヤを越える亡命者(チベット難民)に同行し、その姿をとらえたドキュメンタリー。10人の亡命者(内5人は子供)と、彼らを命がけで導くガイドの姿を描いたもの。2000年にドイツで製作され、2001年度German TV Awardにノミネート。2006年春には日本語版DVDも発売開始。[注釈 13]
- 『雪の下の炎』(Fire under the Snow) - 公開:2008年、製作国:アメリカ・日本、上映時間:75分、監督:楽真琴、出演:パルデン・ギャツォ、ダライ・ラマ14世[51]。
- 『Uprising in Tibet 2008~チベット騒乱の真実~』 - 2008年のチベット騒乱を描いたドキュメンタリー、上映時間:51分。
- 『オロ』- 2012年公開。チベットから亡命した少年が生きる道を探し求める姿を追ったドキュメンタリー。
注釈
- ^ 雍正のチベット分割を参照。
- ^ 中国では通常この範囲を「蔵区」、「蔵族地区」、「西蔵和其他蔵区」と呼ぶが、この範囲を単一の行政区画とするよう求めるチベット亡命政府やダライラマを批難、批判する場合には「大チベット区」という用語が用いられている。2-2節参照。[要文献特定詳細情報]
- ^ 1998年2月23日から27日にかけてマレーシアのクチンで開催された第4回会議。
- ^ 書類には輸送物が中国語で「川の沈泥」を意味する「ヘニ」と記載されていた。
- ^ 甘粛省投棄センターの容量は、当初、6万立方メートルだったが、20万立方メートルにまで拡張された。中国核国営公社のユー・ディリャンは甘粛省投棄センター建設費は100億元(12億5千万ドル)になると語っている。
- ^ ダプチ刑務所の北西3.5キロ、セラ僧院の西わずか1キロの位置にある[19]。
- ^ 北緯37.26度 東経95.08度[20][21]。
- ^ 北緯37.50度、東経95.18度[20]。
- ^ ツァイダム南東217キロメートル、北緯36.6度、東経97.12度に位置する。
- ^ 2008年4月29日チベット亡命政府発表。死者数については、亡命政府の集計とともに、NGOのチベット人権民主化センターの発表(死者数114人)、中国国営メディア(死者数23人)、米政府系のラジオ・フリー・アジアの発表(死者数237人)などの5団体の内容を照合した[23]。
- ^ en:Tom Lantos Human Rights Commission
- ^ 出演:ダドゥン、ジャンパ・ケルサン。公式サイト:映画『風の馬』
- ^ 原題は「Flucht über den Himalaya」(ドイツ語)、監督Maria Blumencron。
出典
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- ^ 2012 年「西藏自治区統計年鑑
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- ^ “Actress Stone and Dior Differ Over Apology”. The New York Times. (2008年6月1日)
- ^ ““兵庫のチベット”三田はなぜ冷える? 県内最低値の日数は6割超(神戸新聞)”. 神戸新聞NEXT. (2019年2月13日)
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