サハリン州 北方四島への渡航

サハリン州

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/06 04:12 UTC 版)

北方四島への渡航

一般の日本人・外国人が北方四島を訪問するには、ロシア連邦の査証(ビザ)を取得の上でまずサハリンに渡り、ユジノサハリンスクにて北方四島への入境許可証を取得後、サハリンから空路または海路でアクセスすることになる。この方法は、北方領土のソビエト社会主義共和国連邦およびロシア連邦の領有権を認める行為である、として竹下改造内閣当時の1989年平成元年)以来、自粛が求められているが、法的強制力は無い。なお、それ以前は個人旅行者が北方領土を含むサハリン州に旅行することは困難であった。

ビザなし交流

近年、樺太に住んでいた元住民およびその親類や政府関係者、一般関係者などの日本人によるサハリンへのビザなし訪問を実現する運動があり、認められるようになった。

帰属問題

ロシアがサハリン州に定めている地域の内、クリル列島(千島列島)及び南サハリンは、サハリン州成立後は全域にロシア人の入植が進み完全にロシア化されている。一方日本政府は、これらの地域は帰属未定地、すなわちどの国の領土にも属していないという見解を取っている。

歴史

1875年樺太・千島交換条約締結により樺太島全島がロシア領となるが、1905年9月5日には南樺太が日本に分割され、ロシア領は北半分のみとなる。北半分へはソビエト連邦が1932年10月20日に旧サハリン州を設置した。 第二次世界大戦中は日ソ中立条約により戦闘地域にはならなかったが、大戦終結直前の1945年8月9日にソ連が条約を破棄して日本に宣戦布告、侵攻し、南樺太と千島列島の全域を占領した。ソ連は翌1946年に併合を一方的に宣言し南サハリン州を設置、1947年これらの地域を新サハリン州として統合した。

  • 1875年5月7日、全島がロシア領となる。
  • 1905年9月5日、南半分が日本領となり、ロシア領は北半分のみとなる。
  • 1932年10月20日、ソビエト連邦により北樺太に旧サハリン州が設置される。
  • 1945年9月17日、ソビエト連邦により南樺太へ南サハリン・クリル列島住民管理局設置。
  • 1946年2月2日、ソビエト連邦、南樺太及び千島列島(北方領土を含む)の領有を宣言し、南樺太に南サハリン州設置。
  • 1947年1月2日、新サハリン州設置。南サハリン州は旧サハリン州と併せて新サハリン州へ統合される。

ソ連はサハリン全域を自国のものとするにあたり、日本の南樺太統治の中心であった豊原とその周辺を併せユジノサハリンスク市と改称し、これを新州都として新たなサハリン州を成立させた。その後、全域にロシア人の入植が進み、現在ではかつての日本人の居住地も完全にロシア化されている。

ソ連時代には、自由な上陸が認められない時代が続いたが、1957年(昭和32年)には、日本から出発した樺太墓参団の上陸が認められた。以後、集団墓参は1965年(昭和40年)、1966年(昭和41年)、1970年(昭和45年)などに実施。樺太の状況が伝えられる数少ない契機となった[15][16]

ソ連末期、ミハイル・ゴルバチョフ政権による緊張緩和により冷戦が終結すると、1989年からサハリン州への外国人立ち入りが許可されたため、『薬師丸ひろ子が見た! サハリン(樺太)縦断1000キロ』などのテレビ番組が放送され、それで今まで不明であったサハリンの様子が明らかになった。1991年ソ連8月クーデターでは、ソ連の各メディア報道が首都モスクワでの事態について混乱する中、サハリン州政府や住民は日本のNHKの衛星放送を活用して情報を得た事もあった。

さらに、同年末のソビエト連邦の崩壊に伴いロシア連邦がサハリン州の支配権を継承した後も日本、特に北海道とサハリンの間の交流は活発化し、稚内港からは国際フェリーが、札幌及び函館、近年は成田(東京)からも航空機が運航されるようになっている(函館線は近年廃止された)。多くのロシア漁船が稚内港根室港をはじめとする北海道(一部は東北地方北陸地方北近畿山陰地方など、本州の日本海側にも及ぶ)の漁港に入港し、海産物を水揚げするようになった(具体例:日本国内のスーパーマーケットなどでよく見かける「ロシア産」と産地表記のラベルが貼ってあるカニウニサケアマエビなど)のもロシア連邦成立以降に顕著になった結果である。サハリン州との交流の活発化により、稚内市内や根室市内にはロシア語の標識や表記が増えている。

また、サハリンにおける油田ガス田開発(サハリンプロジェクト)の進展により、石油メジャー、日本の大手商社が開発に参加。2004年、採掘された最初の石油が日本に輸出された。2001年にはユジノサハリンスクに日本の総領事館が設置され、交流の促進に寄与している。日本とサハリン州の関係はさらに緊密になるものと考えられるが、今なお解決されていない領土問題が暗い影を落しているのも不幸な事実であり、サハリン州の歴代知事は「クリル諸島南部の日本引き渡し」には絶対反対の立場を続けている。

麻生太郎がサハリンを訪問したときの様子。奥にはLNGタンカーも見える。人物は左から、ファン・デル・フーフェーン(蘭)、ドミートリー・メドヴェージェフ、アンドルー王子(英)、麻生太郎

2009年2月、州内のコルサコフ近郊で行われたサハリンプロジェクトの一つ、サハリン2のLNG工場稼働式典に合わせ、日本の首相としてはかつての領有時代を含めて初めて麻生太郎がサハリン州を訪問し、ロシアのドミートリー・メドヴェージェフ大統領と会談した。

一方、千島列島の択捉島では、ソ連崩壊後に続いたロシアの経済不振と1994年に発生した北海道東方沖地震の影響から、人口は減少傾向にあった。

だが、ソ連崩壊後、ユダヤ系ロシア人のアレクサンドル・ヴェルホフスキーが創業した水産加工のギドロストロイ (Гидрострой) 社(本社はユジノサハリンスク)が、周辺の豊富な水産資源と北米の冷凍食品市場とを結びつけて、めざましい成長を示し、択捉島の経済基盤は強固なものとなった。同社は現在、別飛(ロシア名 レイドヴォ Рейдово)に日産400tの加工が可能な大工場を持つほか、蓄積した豊富な資本を元に択捉銀行 (БАНК “ИТУРУП”) を設立、金融業にも乗り出した。しかし、日本政府が領土問題がらみで規制を行っているため、日本企業はこのビジネスチャンスに公式には協力できていない。

また、北部の茂世路岳(クドリャブイ火山)は、その火山ガスに、レアメタルであるレニウムを大量に含有している。このため、ロシア科学アカデミー科学者たちは、レニウムの世界有数の産出源になり得る火山として茂世路岳を見なしている。

インフラ整備では、2015年を目標年次とするロシア政府のクリル開発計画によって、中心都市のクリリスク(紗那)の近くに新空港が建設中である。

国後島ではソ連崩壊後に続いた経済不振と1994年に発生した北海道東方沖地震の影響から、人口は減少傾向にあったが、近年のめざましいロシアの経済成長に伴い、この島にも人口増に向けたテコ入れが始まっている。2015年を目標年次とするロシア政府のクリル開発計画では、立ち遅れているインフラ整備などに重点的な投資がなされる予定である。

ユジノ・クリリスク(古釜布)に、日本政府のロシアへの援助として建設された日本人とロシア人の友好の家(通称 ムネオハウス)がある。

2015年8月22日、ロシアのメドベージェフ首相が択捉島を訪問している。

国後島では、日本のテレビ放送[注釈 3](カラー方式はNTSC)が映り、一部の住民が日本のテレビを情報源にしている。大部分の住民は、ロシアのテレビ(カラー方式はSECAM)を視聴している。北海道放送(HBC)では、一時、北方領土の住民向けに天気予報の画面にロシア語のテロップを入れていた。

漁船銃撃・拿捕事件

2006年8月16日、水晶島付近の海域で操業中の、北海道根室市花咲港所属のカニかご漁船がロシア国境警備局の警備艇により追跡され、貝殻島付近で銃撃・拿捕され、乗組員1人が死亡する第31吉進丸事件が発生した。日本政府はロシア当局に対し、北方領土は日本固有の領土であるとの前提に立って「日本領海内で起こった銃撃・拿捕事件であり、到底容認できない」と抗議した。しかし、この海域はロシア側の実効支配海域であるため、ロシア側にとっては国境侵犯密漁事件であり、日本側の「この海域は日本領海」とする抗議とは根本的な点で相容れないために、今回の問題をさらに複雑にした。

この付近のロシア実効支配海域では、コンブや許可された魚については、許可を得て入漁料を支払った漁船についてのみ認められていたが、無許可操業は日本の農林水産省や北海道当局も禁止しており、またカニ漁に関しては日本側には一切認められていなかった。北海道庁は近く付近の漁協に対して、周辺海域でのカニ漁を行わないよう指導しようとしていた矢先の事件であった。今回の漁船はロシア側海域での一切の漁を認められていなかったうえに、カニ漁を行っていた可能性が高く、実際に船内からは1.1トンのカニが残留していたとロシア側は発表した。

乗組員は国後島の古釜布(ユージノクリリスク)に連行され、日本人とロシア人の友好の家(いわゆるムネオハウス)に拘束された。また、死亡した乗組員の遺体は8月19日海上保安庁の船によって日本に引き取られた。8月30日には船長以外の2乗組員が解放され、海上で北海道庁の船に引き渡されたが、船長は9月4日にロシア側の検察により国境侵犯と密漁の罪で起訴され罰金刑が確定し、約50万ルーブル罰金賠償金を支払ったうえ、10月3日に釈放されビザなし交流の船で根室に帰還した。

帰国後、船長は密漁について責任逃れの発言をしていたが、その後、根室海上保安部の捜査に対して、違反操業を認め、2007年3月、道海面漁業調整規則違反の疑いで書類送検された。


注釈

  1. ^ ただし、現在のユジノサハリンスクは日本統治時代の豊北村と川上村の一部を含んでいる。
  2. ^ 2006年に新バージョンとなり、写真の半分以上が高解像度画像となっている。
  3. ^ テレビ北海道(TVh)は映らない。対岸の根室地域では2011年の地上デジタル化以降に同局の中継局が設置される。

出典

  1. ^ 加賀美雅弘『世界地誌シリーズ 9 ロシア』朝倉書店、2017年、149頁。ISBN 978-4-254-16929-4 
  2. ^ サハリン州内各自治体(市・地区)の予算(歳出)総額 (2010年)”. 稚内市. 2018年5月25日閲覧。
  3. ^ Общая площадь земель муниципального образования, гектар, значение за год”. Федеральная служба государственной статистики. 2018年5月25日閲覧。
  4. ^ Оценка численности населения в разрезе муниципальных образований по состоянию на 01.01.2018 года и среднегодовая за 2017 год”. 2018年5月25日閲覧。
  5. ^ http://demoscope.ru/weekly/ssp/rus_nac_59.php?reg=60
  6. ^ http://demoscope.ru/weekly/ssp/rus_nac_70.php?reg=87
  7. ^ http://demoscope.ru/weekly/ssp/rus_nac_79.php?reg=86
  8. ^ http://demoscope.ru/weekly/ssp/rus_nac_89.php?reg=73
  9. ^ http://www.perepis2002.ru/index.html?id=17
  10. ^ Информационные материалы об окончательных итогах Всероссийской переписи населения 2010 года
  11. ^ a b "На Сахалине в 2012 году строится рекордное количество асфальтобетонных дорог - около 60 км" イタル・タス通信、2012年9月24日。
  12. ^ “サハリン航路再開 第1便が稚内入港”. 読売新聞. (2016年8月2日). https://web.archive.org/web/20160803084843/http://www.yomiuri.co.jp/hokkaido/news/20160802-OYTNT50018.html 2016年8月10日閲覧。 
  13. ^ <ペンギン33>―2016年の運航計画を終了(2016年9月16日)”. 稚内市. 2016年11月17日閲覧。
  14. ^ https://sakhalin.info/news/209491
  15. ^ 「20年ぶりの樺太 消え去った日本色」『日本経済新聞』昭和40年8月1日.14面
  16. ^ 四年ぶりにサハリンへ『朝日新聞』1970年(昭和45年)11月7日夕刊 3版 10面





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