サハリン州
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交通
鉄道の概要
現状の詳細については、サハリンの鉄道の項目を参照
戦前、南樺太には日本が建設した鉄道もあったが、1945年のソビエト連邦(ソ連)による南サハリン(南樺太)の実効支配に伴う1946年2月2日のソ連人民委員会議令263号に基づき、1946年4月1日、ソ連国鉄を運営するソ連運輸通信人民委員会および同人民委員会を改組したソ連運輸通信省が編入した。
以後、ソ連運輸通信省南サハリン鉄道局および極東鉄道局、ロシア連邦運輸通信省サハリン鉄道局、ロシア鉄道サハリン鉄道支社を経て、現在はロシア鉄道極東鉄道支社が所管している。全線非電化で軌間は旧豊真線の残存区間(狭軌、1067mm)を除き、ロシア鉄道と同じ広軌(1520mm)。2012年現在の路線総延長は804.9kmである。
1975年にかけてサハリン北部のノグリキまで路線が延伸された。1973年のワニノ・ホルムスク鉄道連絡船就航で、車両航走を介して、ターミナル埠頭への操車場が設けられたホルムスク=ソルチローヴォチヌイ駅(旧ポリャーコヴォ)がバイカル・アムール鉄道(バム鉄道)のワニノ駅と接続され、かつてのコルサコフ中心だった貨物輸送体系から、サハリン島最狭部、アルセンチェフカ─イリインスク間を結ぶ新線(1971年開通)を経由してホルムスクに集約する輸送体系へと移行を果たした。
ソビエト連邦の崩壊に伴い発生した1990年代の経済混乱期には、保守修繕予算不足から、かつて幹線だった旧豊真線など輸送需要が小さい閑散区間の廃止が行われ、部品不足で休車が相次ぐなどした。この間、JR東日本で廃車になったキハ58系気動車を無償譲受して車両不足を凌いだ時期があった。
しかし予算不足の状況が解消した2000年以降は車両や路線の再整備が始まり、2003年からは施設・路盤改良工事に合わせ、ソ連国鉄編入時から課題であった本土規格の広軌(1520mm)軌間の変更工事も始まった。2012年夏には改軌区間が400kmを超え、2019年に本線区間広軌化が終了。同年、本土と同じ広軌車両による運行を開始した。
2006年には、全線を通じて沿線における光ファイバー通信網整備が完了しており、2012年には東海岸のユジノサハリンスク─ソコル間とユジノサハリンスク─ノヴォデレヴェンスカヤ間、ソコル─ブイコフ間で運行されるディーゼル旅客列車内の公衆無線LANWi-Fiサービスも始まった。
列車はロシア国内や欧米と同じく貨物が主体で、ユジノサハリンスク─ノグリキ間では日本の東海道本線と比較して約2倍にあたる1列車3000トンまでの重量貨物列車の運行が可能である。旅客列車運行本数は日本統治時代から通して少なく、支線や閑散線区では季節運行とされている区間もある。日本時代と異なって東海岸の南端のコルサコフ─フリストフォロフカ間は末端閑散線区と化して、途中駅・乗降場はすべて廃止されており、西海岸の南端のシャフタ=サハリンスカヤ─ホルムスク=ソルチローヴォチヌイ間も1997年以降、旅客運行が休止されている。
サハリン島内にはこのほか、1934年に運行を開始したオハ─モスカルヴォ鉄道線および1925年運行を開始し、1953年に全通したオハ─ノグリキ狭軌鉄道線が存在したが、自動車交通転移、増加の影響でオハ─モスカルヴォ鉄道線は1980年代に、オハ─ノグリキ狭軌鉄道線は2007年にそれぞれ廃止されている。
道路
サハリンでは長年鉄道が主な交通手段となって道路の舗装率は低かったが、自家用車の普及も相まって2000年代後半から整備が急ピッチで進められ、2012年にはサハリン島を南北に縦貫する幹線道の連邦政府道路Р487号線(ユジノサハリンスク─アレクサンドロフ=サハリンスキー、総延長約800km)のうち、ユジノサハリンスクからポロナイスクまでの約300kmで舗装が完了した。Р487号線について州政府は2014年までにスミルヌィフまでの舗装工事を完了させる方針である[11]。
一方サハリン島西岸では舗装道路は少なく、北方四島を含む千島列島には舗装道路がまだないのが実情で、州政府では州内の舗装工事事業者を総動員して幹線道路を中心に舗装化を促進することにしている[11]。
船舶
サハリン島では、日本統治時代の大泊(コルサコフ)に代わり、戦前は漁港だった西岸のホルムスク(真岡)が本土連絡の基地となっており、大規模な港湾設備が整備されている。
旧真岡港域に設けられたホルムスク海洋貿易港(Холмский морской торговый порт)はサハリン州最大の港で、ホルムスク=ソルチローヴォチヌイ駅(旧手井駅)のヤードに直結した鉄道桟橋がある埠頭は大型貨物ガントリークレーン14基を備え、2011年の取扱貨物量は210万5100トン。サハリン島内の鉄道とバイカル・アムール鉄道を連絡するワニノ・ホルムスク鉄道連絡船のほか、小樽─ホルムスク─ワニノ間の日ロ定期フェリー航路が就航している。
またホルムスク=セヴェルヌイ駅(旧北真岡駅)に隣接して設けられたサハリン西海洋港(Сахалинский Западный морской порт)はソ連時代に漁業船団基地だった港で、一時廃港状態だったものの、2002年以降サハリン2プロジェクトのサハリン側の荷役基地として大規模な整備が進められ、現在は最新の荷役設備を備えた大型貨物港としてサハリンプロジェクトを支えている。
北海道からサハリン島
1995年5月から、北海道・稚内港とサハリン・コルサコフ港との間に、「平成版稚泊航路」が運航されるようになった。当初はロシア船を利用して定期フェリーが就航したが、1997年、1998年は、旅行会社のチャーター船による運航となった。1999年から日本船籍(ハートランドフェリー)のアインス宗谷が就航した(冬季を除き週2便の運航)。2015年にハートランドフェリーは撤退。2016年は8月1日より9月16日までサハリン海洋汽船(SASCO)により双胴船「ペンギン33」が運航され[12]、511名の利用客があった[13]。2019年は運航されない。
北海道本島から択捉島
ソ連軍侵攻後は、北海道本島から択捉島への定期公共交通は、船便・航空便ともに存在しない。北海道本島から島に直接渡る場合は「ビザなし交流」に参加し、チャーター船で根室港から出発、クリリスク(紗那)に入港する。「ビザなし交流」の場合であっても、チャーター船がロシアが主張する領海に入ると、国際航路を通航する船舶の慣例によってロシア国旗をマストに掲げ、また、クリリスクに到着後は、ロシアの税関当局による入域審査を受ける。
なお、このチャーター船の利用は、日ロ両政府の合意により、旧島民、その子孫、ならびに返還団体から推薦された者等に限定されている。これは日本側がロシア領であることを認めたくないため、ロシア側の正式な手続きを取らないことを提案し、ロシア側がそれを受け入れているからである。実際には日本政府に申し出れば、研修を受けた後、返還団体の推薦を得ることが出来る。つまり希望すれば誰でも「ビザなし交流」に参加できる。
サハリン島から択捉島
コルサコフ(大泊)港からは、サハリンクリル海運の貨客船「イゴール・ファルハトディノフ」号が週2便出発している。この船は、月曜日にコルサコフを出帆、火曜日に択捉島、水曜日に色丹島ならびに国後島に寄港、木曜日にコルサコフ帰着、金曜日にコルサコフ発、土曜日に国後島と色丹島、日曜日に択捉島に寄港、月曜日にコルサコフに戻るというスケジュールで、3月〜12月まで運航される。
北海道本島から国後島
ソ連軍侵攻後は、北海道本島から国後島への定期公共交通は、船便・航空便ともに存在しない。北海道本島から島に直接渡る場合は、「ビザなし交流」に参加し、チャーター船で根室港から出発、古釜布(ユジノクリリスク)に入港する。「ビザなし交流」の場合であっても、チャーター船がロシアが主張する領海に入ると、国際航路を通航する船舶の慣例によってロシア国旗をマストに掲げ、また、古釜布に到着後は、ロシアの税関当局による入域審査を受ける。なお、このチャーター船の利用には、前述の制限があり、自由に利用することができないため、南サハリン経由で渡ることとなる。
カムチャツカ半島から北千島
北千島のセベロクリリスクまでは、ペトロパブロフスク・カムチャツキーよりヘリコプターか「ギパニス」という船舶で向かうことになる。
航空機
- サハリン本土には、ユジノサハリンスク空港(ホムトヴォ空港)のほか、ノグリキ空港、オハ空港、シャフチョルスク空港、ゾナリノエ空港、ポロナイスク飛行場、スミルヌイフ飛行場、アレクサンドロフスク・サハリンスキー飛行場がある。また、千島列島にはメンデレーエフ空港、ヤースヌイ空港があり、色丹島、幌筵島にはヘリポートがある。このうちセヴェロクリリスクにDHC-6が着陸できる程度の空港を建設中である[14]。
ロシア本土からサハリン島
ユジノサハリンスク空港はモスクワのシェレメチェヴォ空港など複数の空港と結ばれているほか、オハ空港とノグリキ空港、シャフチョルスク空港はハバロフスク空港と結ばれている。
日本からサハリン島
オーロラ航空が、札幌・新千歳~ユジノサハリンスクを週5便(月・水・木・土・日)、成田空港との間に週2便(火・金)就航させている。このほか、西日本からはソウルからのオーロラ航空などが便利である。
サハリン島から択捉島
現在の択捉島にアクセスする定期公共交通は、南サハリン(南樺太)を拠点に運航されている。ユジノサハリンスク空港(豊原大沢飛行場)からはオーロラ航空が毎日、択捉島紗那村のヤースヌイ空港まで就航している。有視界飛行であるため、霧がかかりやすい夏季には欠航となる確率が相当に高いが、新空港になってからは欠航率は低くなった。
サハリン島から国後島
現在の国後島にアクセスする定期公共交通は、南サハリン(南樺太)を拠点に運航されている。ユジノサハリンスク空港(豊原大沢飛行場)からはオーロラ航空が毎日、国後島メンデレーエフ空港まで就航している。しかし、有視界飛行であるため、霧がかかりやすい夏季は欠航になりやすい。
サハリン島から北千島
セベロクリリスク飛行場が建設中で、完成時にはユジノサハリンスクとペトロパブロフスク・カムチャツキー便が運航予定。
サハリン島内ローカル線
2022年1月現在、ユジノサハリンスク空港とティモフスク(ゾナリノエ空港)、シャフチョルスク、ポロナイスク、スミルヌイフ、ノグリキ、オハ、アレクサンドロフスク・サハリンスキーを結ぶローカル線が運航されている。
千島列島ローカル線
択捉島・国後島・色丹島間にはヘリコミューター路線が存在する。
注釈
- ^ ただし、現在のユジノサハリンスクは日本統治時代の豊北村と川上村の一部を含んでいる。
- ^ 2006年に新バージョンとなり、写真の半分以上が高解像度画像となっている。
- ^ テレビ北海道(TVh)は映らない。対岸の根室地域では2011年の地上デジタル化以降に同局の中継局が設置される。
出典
- ^ 加賀美雅弘『世界地誌シリーズ 9 ロシア』朝倉書店、2017年、149頁。ISBN 978-4-254-16929-4。
- ^ “サハリン州内各自治体(市・地区)の予算(歳出)総額 (2010年)”. 稚内市. 2018年5月25日閲覧。
- ^ “Общая площадь земель муниципального образования, гектар, значение за год”. Федеральная служба государственной статистики. 2018年5月25日閲覧。
- ^ “Оценка численности населения в разрезе муниципальных образований по состоянию на 01.01.2018 года и среднегодовая за 2017 год”. 2018年5月25日閲覧。
- ^ http://demoscope.ru/weekly/ssp/rus_nac_59.php?reg=60
- ^ http://demoscope.ru/weekly/ssp/rus_nac_70.php?reg=87
- ^ http://demoscope.ru/weekly/ssp/rus_nac_79.php?reg=86
- ^ http://demoscope.ru/weekly/ssp/rus_nac_89.php?reg=73
- ^ http://www.perepis2002.ru/index.html?id=17
- ^ Информационные материалы об окончательных итогах Всероссийской переписи населения 2010 года
- ^ a b "На Сахалине в 2012 году строится рекордное количество асфальтобетонных дорог - около 60 км" イタル・タス通信、2012年9月24日。
- ^ “サハリン航路再開 第1便が稚内入港”. 読売新聞. (2016年8月2日) 2016年8月10日閲覧。
- ^ “<ペンギン33>―2016年の運航計画を終了(2016年9月16日)”. 稚内市. 2016年11月17日閲覧。
- ^ https://sakhalin.info/news/209491
- ^ 「20年ぶりの樺太 消え去った日本色」『日本経済新聞』昭和40年8月1日.14面
- ^ 四年ぶりにサハリンへ『朝日新聞』1970年(昭和45年)11月7日夕刊 3版 10面
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