PDP-8ファミリ
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「ディジタル・イクイップメント・コーポレーション」の記事における「PDP-8ファミリ」の解説
詳細は「PDP-8」を参照 1962年、リンカーン研究所は System Building Blocks を使って小型の12ビットマシンを実装し、それに様々なアナログ-デジタル変換入出力機器を接続して、アナログの各種実験装置とインタフェースしやすくしていた。これがLINCである。LINCは科学界で強烈な関心を惹きつけ、小さな研究室でも使える安価で小さいマシンだとして世界初の真のミニコンピュータとも呼ばれた。 LINCの成功を目にしたDECは1963年、その基本設計を踏襲してアナログ-デジタル変換機構を除いたPDP-5を開発した。PDP-1ファミリ以外の最初のマシンとして、1963年8月11日のWESTCONで発表。1964年の広告ではPDP-5の利点を「さあ、使われている磁気コアメモリの価格27,000ドルだけであなたもPDP-5を所有できます」と表現していた。1967年初めに生産終了となるまでに約100台が生産された。PDP-5は1964年(昭和39年)東京大学の旧田無市(現:西東京市)の原子核研究所(1997年3月閉所)に導入された日本初のPDP機だった。PDP-1と同様、PDP-5から基本設計が同じ一連の機種が生まれ、PDP-5よりも人気となった。 1965年3月22日、PDP-5で使用していたモジュールをRシリーズ・フリップチップで置換したPDP-8をリリース。小さな卓上型の筐体であり、CPUが格納された部分は半透明のプラスチックで覆われていて、外から配線が見えるようになっている。4kワード×12ビットの磁気コアメモリを搭載し、標準入出力機器としてASR-33を備えた基本構成で、18,000ドルだった。そのため、25,000ドルを割った世界初の「真の」ミニコンピュータと呼ばれた。販売は予想通り非常に堅調で、PDP-5の市場にいくつかの企業が参入しはじめたがPDP-8には敵わなかった。これによりDECは市場を2年間ほぼ独占し、同一設計の新機種が登場するまでに "straight eight"(最初のPDP-8)が約1400台生産された。 DECはさらに低価格なPDP-8/S(Sは "serial" の意)をリリース。名前が示す通りシリアル演算ユニットを採用しており、低速だがコストも低減され1万ドル以下で売られた。また、PDP-8のCPUとLINCのCPUを備えた2プロセッサ構成のLINC-8(英語版)をリリース。2つのCPUを切り替える命令を備えており、LINC用のプログラムとPDP-8用プログラムが実行可能である。ただしこれはあまり売れず、当初価格は38,500ドルで約140台を売り上げるに留まった。LINCからPDP-5が生まれたように、LINC-8を修正してシングルプロセッサ機にしたのがPDP-12である。これは約1000台生産された。1968年には回路設計を改めたPDP-8/IとPDP-8/Lをリリース。1975年には前年のインターシルとの合意に基づき、PDP-8をシングルチップ化した Intersil 6100 が登場した。それにより、DEC自体はPDP-8ファミリの終結を発表したが、その後もPDP-8向けのソフトウェアを生かす手段が残された。
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