WWS旗揚げ、死去
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「ミスター・ポーゴ」の記事における「WWS旗揚げ、死去」の解説
2000年、経営するサウナのあった埼玉県本庄市で、地域密着型プロレスWWSを旗揚げ。 2003年、故郷の伊勢崎市議会議員選挙に立候補。リングネームでなく本名で出馬。無所属。1,059票で最下位落選した。当選の暁にはペイントして議会に出席することを公約していた。しかしポスター写真は素顔のみを掲載。 2005年、伊勢崎市で兄と焼き鳥屋『串焼きダイニングうずら』をオープン。2007年1月10日、同店を飲食店『味処ぽーごちゃん』にリニューアルし、厨房・接客にも励んでいたが、同年2月、右足の痛風発作の鎮痛剤を空腹時に大量服用した事から出血性胃潰瘍を発症し、伊勢崎市民病院に緊急入院、3週間の闘病を余儀なくされた。しかし3月には飲食店の営業を再開し、試合にも5月のWWS伊勢崎大会から復帰を果たした。 2008年夏、自身の生い立ちからプロレスラーとなって後の成り行きまでを事細かに記した長大な自叙伝を、『ある極悪レスラーの懺悔』と題して電子書籍という形で刊行した。その内容をかなり削ったものを、本名を著者名として、2009年講談社より一般書籍として発売した。ISBN 978-4062152129 2009年、選手活動を本格化させる為、飲食店を3月に閉店。その後、W★INGを「新W★ING伝説」というシリーズ名で復活させ、エースとして現役プロレスラーに完全復帰を果たした。 2014年、アップアップDDT(仮)〜アイドルvsプロレス異種対バン戦Vol.2、工場ライブプロレス〜に参戦。 2017年6月23日未明、群馬県内の病院で死去。66歳没。腰の手術を行うため全身麻酔をかけている最中、不整脈により血圧が低下し、脳梗塞を発症したという。 7月にはゆかりのレスラーたちによって「ミスターポーゴお別れ会」が新木場で開かれ、また11月に予定されていたWWS伊勢崎大会は追悼興行とされた。WWSはポーゴのマネージャーだったラーメンマンに代表権が移され、興行を継続している。
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