WRカー黎明期 (1997年 - 2010年)
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「世界ラリー選手権」の記事における「WRカー黎明期 (1997年 - 2010年)」の解説
グループAの特例として1997年から導入されたWRカーは、継続した12ヶ月間に25,000台以上生産された車種の派生モデルに限り、直接的なベースモデルの生産台数を2,500台とするもので、ワイドボディ化、4WDへの改造、リアサスペンション形状の変更、同一メーカー車に搭載されているエンジンへの換装やターボの付加など、大幅な改造を認められたものである。この規定により高性能4WD車をベースにする必要がなくなったため、ヨーロッパの自動車メーカーが相次いでWRCに参戦し、メーカー数が増加して活況を呈し始めた。またアジア勢でもヒュンダイやスズキといったメーカーが短期間ながら新規参入した。 WRカー導入の初期こそ、トヨタ・カローラや三菱・ランサー、インプレッサといった日本車勢が引き続き強さを見せていたものの、21世紀に入ると陰りが見え始めた。1999年に登場したプジョー・206 WRCは2000年 - 2002年までマニュファクチャラーズタイトルを3連覇。2003年には本格参戦1年目にしてシトロエンがマニュファクチャラーズタイトルを奪取し、その後2005年まで3連覇するなど、今度は一大勢力と化したフランス車勢が台頭した。 プジョーはWRCの開催スケジュール等を巡ってFIAとの紛糾の末2005年で撤退し、シトロエンも2005年で一時撤退するが、2006年にプライベートチームのクロノス・レーシングを事実上のワークスチームとしてサポートする形で参戦。その間従来のWRカーであったクサラ WRCの後継となるC4 WRCの開発を平行して行っており、2007年に再びワークスチームとしてWRCへ復帰した。2004年からはシトロエンのセバスチャン・ローブ/ダニエル・エレナ組による独走が続き、実に2012年までドライバーズ/コドライバーズタイトルを9連覇、マニュファクチャラーズタイトルも同期間中7度の制覇を果たすこととなる。 フォードはグループA規定から引き続きMスポーツにワークス活動を委託していたが、フォードグループの経営不振などにより年を追うごとに資金が先細りしていく状況にあった。2002年頃から毎年撤退が噂され、2004年には撤退寸前まで追い込まれるが、Mスポーツ代表のマルコム・ウィルソンが絶望的な状況の中でも諦めることなくフォード首脳陣に対して参戦継続へ向けた粘り強い交渉を行っていた。そして交渉期間中に開催されたカタルニア・ラリーとツール・ド・コルスで連続優勝を成し遂げて状況が好転し、フォード本社がラリー活動の継続を決断した。2005年に3年間の参戦と資金が確約されると攻勢に転じ、モデルチェンジしたフォーカスSTをベースに新型車両を開発。2006年は1979年以来となるマニュファクチャラーズタイトルを獲得し、2007年にも連覇した。またこの頃から、徐々にWRカーの主役はセダンからBセグメントハッチバックへと変わり始めた。 しかし2007年のリーマン・ショックに端を発する世界的不況の影響により、各自動車メーカーの経営不振、度重なるWRカーの仕様変更、WRカーの開発費用および車両価格の高騰、イベント数の増加などにより徐々にメーカーが撤退し始め、2009年時点で正式に参戦したのはシトロエン、フォードの2社のみとなった。
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