WRカーでの参戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 22:02 UTC 版)
「クレイグ・ブリーン」の記事における「WRカーでの参戦」の解説
2016年は前年までプジョーのオフィシャルドライバーを務めていたこともあり、シトロエンの招聘を受けサテライトチームのPHスポールからシトロエン・DS3 WRCでスポット参戦。第8戦フィンランドでWRカー5戦目で3位に入りWRC初表彰台を獲得。この時のインタビューで感極まる一面を見せた。この活躍もありブリーンは初年度ながらチームメイトクリス・ミークに次ぐ年間ランキング10位で終えた。 2017年、正式にシトロエンのワークス・チームに昇格し初のフル参戦を果たす。新車シトロエン・C3 WRCをドライブするが、この年の最高位は5度の5位のみに留まり、一度も表彰台に立つことなく前年に続き年間ランキング10位となった。 2018年も引き続きシトロエンから参戦。第2戦スウェーデンでは自己最高位となる2位表彰台を獲得。しかしその後は低迷を強いられ、更にチームメイトのミークがシーズン途中に解雇された影響もあり年間ランキングでは前年を下回る11位となったがポイントでは僅か4ポイント上回った。しかしシーズン終了後チームのスポンサーであるアブダビが支援を打ち切ることになったため3年間在籍したシトロエンのシートを失った。 2019年、ブリーンはミークと別れたポール・ネーグルと再びコンビを組み、WRC復帰までの繋ぎとしてR5車両でアイルランド国内選手権、イタリア選手権などに参戦した。そしてその努力が実りダブルタイトルを狙うヒュンダイから助っ人として第9戦フィンランドと第12戦ラリーGBにヒュンダイ・i20クーペWRCで出場。固定ナンバーはカート時代のラッキーナンバーである「42」を選んだ。フィンランドではチームオーダーで順位を譲るまではチームのエースティエリー・ヌービルを凌ぐスピードを見せ存在感をアピールした。 2020年は当初第2戦スウェーデンに出場予定だったセバスチャン・ローブが急遽出場をキャンセルしたためこのラリーで表彰台経験のあるブリーンが抜擢された。期待されたが雪不足の影響により7位に終わる。その後、新型コロナウイルス感染症によるシーズン中断・再編が行われ、ブリーンは急遽カレンダー入りとなったラリー・エストニアに助っ人として出場が決定した。エストニアでは2度のステージベストを記録しヒュンダイ加入後初の2位表彰台を獲得し、優勝したチームメイトのオィット・タナックと共にチームにワンツーフィニッシュをもたらした。この功績により、マニュファクチャラーズタイトル2連覇獲得に貢献した。また並行して5年振りにERCへフル参戦し、アジア・パシフィックラリー選手権(APRC)でのタイトル獲得経験のあるMRFチームからヒュンダイ・i20 R5で出場した。開幕は2戦連続4位と好スタートを切ったが、その後の3戦は上位を争いながらミスやマシントラブルに泣かされリタイアとトップ10圏外に終わる。開幕前はチャンピオン候補の一人でもあったがこの年は一度も表彰台に上がれずランキング7位に終わった。 2021年はワークスエントリーを外れたローブに代わって、ソルドと3台目を共有。出走順の利を活かし、わずか5戦の参戦ながら3度表彰台を獲得してフル参戦のMスポーツ勢を年間ランキングで上回る好成績を残した。しかしERCでは第2戦で2位表彰台を獲得するも、僅か3戦のみの出場に留まりランキング10位で終えた。 2022年は2年間在籍していたヒュンダイを離れ、Mスポーツと複数年契約を結ぶ。開幕戦モンテカルロで移籍後いきなりの3位表彰台を獲得する好スタートをつけた。
※この「WRカーでの参戦」の解説は、「クレイグ・ブリーン」の解説の一部です。
「WRカーでの参戦」を含む「クレイグ・ブリーン」の記事については、「クレイグ・ブリーン」の概要を参照ください。
- WRカーでの参戦のページへのリンク