ヘニング・ソルベルグとは? わかりやすく解説

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ヘニング・ソルベルグ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/22 15:53 UTC 版)

ヘニング・ソルベルグ
基本情報
国籍  ノルウェー
生年月日 (1973-01-08) 1973年1月8日(51歳)
WRCでの経歴
活動時期 1998年 -
コ・ドライバー
  • オーラ・フローネ
  • カト・メンケルド
  • イルカ・ミノア
所属チーム
出走回数 133
チャンピオン回数 0
優勝回数 0
表彰台回数 6
ステージ勝利数 33
通算獲得ポイント 288
初戦 1998 スウェディッシュラリー
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ヘニング・ソルベルグ: Henning Solberg 1973年1月8日- )はノルウェーラリードライバーである。

2003年世界ラリー選手権 (WRC) チャンピオンである弟のペター・ソルベルグの陰に隠れがちな存在ではあるが、現地では彼と並ぶ一流のラリードライバーとして知られており、1999年から2003年の間、5期連続で国内選手権のチャンピオンとなっている。 長男はオスカー・ソルベルグ、義理の息子はポンタス・ティデマンド、甥はオリバー・ソルベルグ

来歴

2007年ラリー・ノルウェー

1998年のラリー・スウェーデンで弟ペター・ソルベルグと共にセリカST205に乗りWRCデビューを果たす。その後弟ペターはフォードからワークス参戦を飾るが、ヘニングはしばらくプライベーターとして参戦しフォード・エスコート WRCトヨタ・カローラ WRCスバル・インプレッサ WRC、グループAの三菱・ランサーエボリューションといったマシンをドライブした。

2004年プジョーのサテライトチームボジアン・レーシングから前年までのワークスカープジョー・206 WRCで7戦に出場。緒戦のスウェーデンで6位に入賞し初ポイントを獲得した。

2005年フォードワークスから7戦に出場。キプロスでは一時総合3位につけるも、プジョーマルコ・マルティンに逆転され4位に終わった。

2006年OMVプジョーに在籍、トルコラリーでは自身初の3位表彰台に入賞を果たした。

2007年は2006年の成績が評価され、旧型のフォード・フォーカス WRC '06をドライブし全戦に参戦。地元ノルウェーと日本の二つのラウンドで3位の表彰台に登った。

2008年ストバートVK Mスポーツ・フォード・ラリーチームから10戦、ミュンヒス・フォードから5戦に参戦。この年の最高位はヨルダンでの4位。

2009年は、スイスの家電量販店エキスパート (Expertからのサポートを受け全戦へ参戦。アルゼンチンと初開催となったポーランドの二つのラウンドで3位表彰台に登った。

2010年はストバート Mスポーツ・フォード・ラリーチームから全戦に参戦。ターマックラリーのみフォード・フィエスタS2000をドライブした。この年の最高位は6位。

2011年は新ワールドラリーカー規定に沿いフォード・フィエスタ RS WRCでMスポーツ ストバート・フォード・ワールド・ラリーチームから参戦。サテライトのエース扱いとなる。しかし、成績不振により第5戦イタリアからマニュファクチャラーノミネートを外された。第6戦アクロポリスから成績が良くなり、最終戦のグレートブリテンでは自身6度目の3位表彰台に登った。

2012年はサポートを続けていたエキスパートが撤退したため、WRC参戦継続が危ぶまれた。しかし開幕戦モンテカルロの直前にアメリカ製エナジードリンクゴーファスト (Go Fast) のサポートをうけ、チームメイトのマシュー・ウィルソンと共にWRCに引き続き参戦することとなった。モンテカルロは12位、スウェーデンでは7位に入ったが、それ以降は資金不足により全戦参戦はかなわなかった。

2013年は参戦プログラムが決まらずWRCに参戦できるか危ぶまれたが、スウェーデンへの出場が決定した。当初は昨年に引き続きゴーファストが支援するはずだったが直前にキャンセルとなり、更にマシンも届かずこのまま欠場と思われたが、Mスポーツからテストカーを借用しての参戦となった。この年はスウェーデンのみの参戦となったが総合8位で完走した。

2014年はアダプタ・モータースポーツからフォード・フィエスタ RS WRCで6戦に参戦。スウェーデンとラリーGBではそれぞれ1回ずつトップタイムをマークし、いまだスピードは衰えていないことを証明した。この年の最高位はポルトガルの5位。

2015年もアダプタ・モータースポーツから引き続き参戦。4年振りのフル参戦を予定していたが、モンテカルロでは11位、スウェーデンは12位と開幕2連戦は成績が振るわず、それ以降は予算不足で全戦参戦は叶わなかった。

2016年もアダプタ・モータースポーツから参戦。フォード・フィエスタ RS WRCで5戦、フィンランドのみはフォード・フィエスタ R5で出場した。WRカーで参戦した最高位は7位。一方フィエスタ R5で出場したフィンランドはWRC-2クラス4位に入った。

2017年は新規定のフォード・フィエスタWRCで参戦する予定だったがプライベーターでの出場認可が下りず、急遽シュコダ・ファビアR5でスウェーデンに出場した。

2018年は前年までマッズ・オストベルグが使用していたフォード・フィエスタWRCで第2戦スウェーデンに出場。念願の最新型WRカーでの参戦を果たす。しかし1年のブランクもあり上位争いに絡めず19位に終わる。その後はトルコからシュコダ・ファビアR5で参戦。なんとWRカーに割って入る6位入賞を果たした。スペインではWRC-2クラス6位に入った。

2019年はステップダウンしシュコダ・ファビアR5でWRC-2クラスに参戦。この年は計4戦に出場し第7戦ポルトガルではクラス3位表彰台に登り最終的に4戦全てでポイントを獲得しWRC-2クラスランキング9位でシーズンを終えた。

エピソード

弟ペターに負けず劣らず、明るく楽天的な性格の持ち主で、ファンに対して親しく接する点も共通している。ペターのWRC初優勝の時には自宅の裏で私物のスバル・インプレッサでドーナツターンを延々繰り返したという逸話もある。

母国ノルウェーでも食べるほどの寿司好き。醤油に関しても知識があるようで、ラリー雑誌ラリーXが知っている日本語を尋ねたところ「キッコーマン。寿司にはソイソースがないとね。」と答えてみせた。(ラリーX携帯サイトより)

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