UFO研究会
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以前からコックリさんや降霊術などの超常現象に関心のあった三島は、1956年(昭和31年)に「日本空飛ぶ円盤研究会」(JFSA)に入会し(会員番号12)、UFO観測に熱中していた。「日本空飛ぶ円盤研究会」は、1955年(昭和30年)に荒井欣一を会長として発足した会で、北村小松、徳川夢声、糸川英夫が顧問となり、特別会員に荒正人、新田次郎、畑中武雄がいた。三島の入会後に会員数は500人を超えるようになり、森田たま、石原慎太郎、黛敏郎、星新一、黒沼健らも入会した。 三島は、飯能市での会合や、北村小松と自宅の屋上で空飛ぶ円盤観測したこともあったが、なかなか実物にお目にかかれなかった。なんとかUFOらしき〈葉巻型〉のものを目撃したのは、北村から予測情報を得た1960年(昭和35年)5月23日のことで、瑤子夫人と自宅屋上で待機していた午前5時25分過ぎ頃であった。三島はUFO関連書籍も読み、同年11月から夫人と渡米した際にも現地で調査していた。 三島は、こういった空飛ぶ円盤観測を経て、『美しい星』執筆に至ったきっかけを以下のように語っている。 この小説を書く前、数年間、私は「空飛ぶ円盤」に熱中してゐた。北村小松氏と二人で、自宅の屋上で、夏の夜中、円盤観測を試みたことも一再にとどまらない。しかし、どんなに努力しても、円盤は現はれない。少なくとも私の目には現はれない。そこで私は、翻然悟るところがあり「空飛ぶ円盤」とは、一個の芸術上の観念にちがひないと信じるやうになつたのである。さう信じたときは、この主題は小説化されるべきものとして、私の目前にあつた。小説の中で円盤を出現させるほかはなく、しかもそれは小説の末尾に、人間の絶望の果ての果てにあらはれなければならなかつた。 — 三島由紀夫「『空飛ぶ円盤』の観測に失敗して――私の本『美しい星』」 また、作品主題に関連する人物造型などについては、次のように説明している。 だから、これは、宇宙人と自分を信じた人間の物語りであつて、人間の形をした宇宙人の物語りではないのである。そのために、主人公を、夢想と無為にふさはしい、地方の財産家の文化人に仕立てる必要があり、また一方、ここに登場する「宇宙人」たちは、完全に超自然的能力をはぎとられ、世俗の圧力にアップアップしてゐなければならなかつた。全編の五分の一を占める論争の部分は、ずいぶん読者を閉口させたやうであるが、ただの人間にすぎぬものが、人間の手にあまる問題を扱ふことの、一種のトラジ・コミックの味を私はねらつた。当然それは、むりに背伸びをした論争であるが、それを直ちに非力な作者の背伸びと解されても、仕方のないことであつた。 — 三島由紀夫「『空飛ぶ円盤』の観測に失敗して――私の本『美しい星』」 作品の題名は当初、「銀河系の故郷」「銀河一族」「わが星雲」といったものが考えられていた。なお、三島はドナルド・キーン宛ての書簡に、〈これは実にへんてこりんな小説なのです。しかしこの十ヶ月、実にたのしんで書きました〉と報告している。村松剛によると、『美しい星』執筆の頃の三島は、「半ば宇宙人になりかかっていた」とされ、三島が「狭山に今夜UFOが降りるのだ」と言って、ヤッケをはおり水筒と双眼鏡などを持って深夜出かけて行ったという。
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