UFC 155
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/25 06:34 UTC 版)
UFC 155: dos Santos vs. Velasquez 2 | ||
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イベント詳細 | ||
シリーズ | UFC | |
主催 | ズッファ | |
開催年月日 | 2012年12月29日 | |
開催地 | ![]() ネバダ州ラスベガス |
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会場 | MGMグランド・ガーデン・アリーナ | |
試合数 | 全12試合 | |
放送局 | WOWOW | |
入場者数 | 13,561人 | |
入場収益 | 328万6,025ドル[1] | |
PPV購入数 | 59万件[2] | |
イベント時系列 | ||
The Ultimate Fighter 16 Finale | UFC 155: dos Santos vs. Velasquez 2 | UFC on FX 7: Belfort vs. Bisping |
UFC 155: dos Santos vs. Velasquez 2(ユーエフシー・ワンフィフティファイブ:ドス・サントス・バーサス・ヴェラスケス・ツー)は、アメリカ合衆国の総合格闘技団体「UFC」の大会の一つ。2012年12月29日、ネバダ州ラスベガスのMGMグランド・ガーデン・アリーナで開催された。
大会概要
本大会ではジュニオール・ドス・サントスとケイン・ヴェラスケスによるUFC世界ヘビー級タイトルマッチが組まれた[3]。
カード変更
負傷などによるカードの変更は以下の通り。
- コーディ・マッケンジー → マックス・ホロウェイ(第2試合)
- カーロス・ヴェモラ → デレク・ブランソン(第8試合)
- クリス・ワイドマン → コンスタンティノス・フィリッポウ(第10試合)
- エリック・コク vs. リカルド・ラマス → UFC on FOX 6に移動
- フォレスト・グリフィン vs. チェール・ソネン → ソネンの移動により中止
- フォレスト・グリフィン vs. フィル・デイヴィス → グリフィンの負傷により中止
試合結果
アーリープレリム
- 第2試合 フェザー級ワンマッチ 5分3R
-
○
マックス・ホロウェイ vs.
レオナルド・ガルシア ×
- 3R終了 判定2-1(29-28、28-29、29-28)
- 第3試合 ヘビー級ワンマッチ 5分3R
-
○
トッド・ダフィー vs.
フィル・デ・フライズ ×
- 1R 2:04 TKO(スタンドパンチ連打)
プレリミナリーカード
- 第4試合 ライト級ワンマッチ 5分3R
-
○
マイルズ・ジュリー vs.
マイケル・ジョンソン ×
- 3R終了 判定3-0(30-27、30-27、30-27)
- 第5試合 ライト級ワンマッチ 5分3R
-
○
ジェイミー・ヴァーナー vs.
メルヴィン・ギラード ×
- 3R終了 判定2-1(30-27、27-30、30-27)
- 第6試合 バンタム級ワンマッチ 5分3R
-
○
エリック・ペレス vs.
バイロン・ブラッドワース ×
- 1R 3:50 TKO(パウンド)
- 第7試合 バンタム級ワンマッチ 5分3R
-
○
エディ・ワインランド vs.
ブラッド・ピケット ×
- 3R終了 判定2-1(30-27、28-29、30-27)
メインカード
- 第10試合 ミドル級ワンマッチ 5分3R
-
○
コンスタンティノス・フィリッポウ vs.
ティム・ボッシュ ×
- 3R 2:11 TKO(パウンド)
- 第12試合 UFC世界ヘビー級タイトルマッチ 5分5R
-
○
ケイン・ヴェラスケス vs.
ジュニオール・ドス・サントス ×
- 5R終了 判定3-0(50-45、50-43、50-44)
- ※ヴェラスケスが王座獲得に成功。
各賞
- ファイト・オブ・ザ・ナイト: ジム・ミラー vs. ジョー・ローゾン
- ノックアウト・オブ・ザ・ナイト: トッド・ダフィー
- サブミッション・オブ・ザ・ナイト: ジョン・モラガ
- 各選手にはボーナスとして6万5,000ドルが支給された。
脚注
関連項目
外部リンク
- UFC公式サイトによる試合結果
- MMAPLANETによる試合結果
- バウトレビューによる試合結果
- eFightによる試合結果
- Tapologyによる試合結果
- SHERDOGによる試合結果
- ネバダ州アスレチック・コミッションによる試合結果
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UFC Japan
(UFC_155 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/18 08:17 UTC 版)
UFC Japan: Ultimate Japan | ||
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イベント詳細 | ||
シリーズ | UFC(PPV) | |
主催 | SEG | |
開催年月日 | 1997年12月21日 | |
開催地 | ![]() 神奈川県横浜市 |
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会場 | 横浜アリーナ | |
試合数 | 全7試合 | |
放送局 | 日本テレビ よみうりテレビ |
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入場者数 | 11,850人[1] | |
イベント時系列 | ||
UFC 15: Collision Course | UFC Japan: Ultimate Japan | UFC 16: Battle in the Bayou |
UFC Japan: Ultimate Japan(ユーエフシー・ジャパン:アルティメット・ジャパン、別名UFC 15.5)は、アメリカ合衆国の総合格闘技団体「UFC」の大会の一つ。1997年12月21日、神奈川県横浜市の横浜アリーナで開催された。本大会はUFC初の日本開催の大会であり、UFC-J事務局が運営する初の日本大会でもあった。
大会概要
本大会は、UFCが初めてアメリカ合衆国以外の国で開催された大会(アメリカの自治領プエルトリコでの開催(UFC 8)はあり)で、UFC初の日本大会となった。
メインイベントのUFC世界ヘビー級タイトルマッチで、挑戦者ランディ・クートゥアが王者モーリス・スミスを破り、第3代UFC世界ヘビー級王者となった。
初代UFC世界ミドル級(後のライトヘビー級)王座決定戦では、UFC初出場のフランク・シャムロックがケビン・ジャクソンを破り、初代王者となった。
日本人勢は、UFC-Jが提携関係にあったキングダム[2][3]から安生洋二と桜庭和志がヘビー級トーナメントに出場した。金原弘光の代打で急遽出場した桜庭和志[4]が1回戦でマーカス・コナンと対戦し、レフェリーの誤審(レフェリーがVTRを確認し、レフェリーストップによる桜庭のTKO負けから無効試合に変更)により無効試合となるも、もう一方のブロックで1回戦を勝ち上がったタンク・アボットが怪我により棄権したため、決勝でマーカス・コナンと再戦することになり、腕ひしぎ十字固めで一本勝ちを収め、ヘビー級トーナメントを優勝。マイクで「プロレスラーは本当は強いんです」「昨日は1時前までポケモンやってました」と発言し、一躍名を挙げることになった[5][6]。
なお、主催者発表では1万人以上と発表されている観客数だったが、実際には動員に苦戦していたことが伝えられている[7]。
フランク・シャムロックと桜庭和志がUFCに初出場した。
2016年まで長年UFCで実況アナウンサーを務めることになるマイク・ゴールドバーグが初めて実況アナウンサーを務めた。
日本でのテレビ放送
日本では当日深夜に日本テレビとよみうりテレビで1時間25分番組の録画中継番組が放送された。解説とゲストは当時パンクラス所属の高橋義生と作家の夢枕獏。インタビュアーはタレントの安西ひろこが務めた。日本テレビは1時1分から2時40分まで放送され、ビデオリサーチ調べの平均視聴率は、4.0%で最高瞬間視聴率は5.9%。占拠率は37.8%に及んだ。よみうりテレビは3時25分から4時50分の放送で平均視聴率は2.9%、占拠率は70%だった[8]。
試合結果
- 第1試合 ヘビー級 12分1R
-
○
トレイ・テリグマン vs.
ブラッド・コーラー ×
- 1R 10:05 腕ひしぎ十字固め
- 第2試合 UFC-Jヘビー級トーナメント 1回戦 15分1R
-
○
タンク・アボット vs.
安生洋二 ×
- 1R終了 判定3-0
- アボットは拳の骨折により、勝利後にトーナメントを棄権
- 第3試合 UFC-Jヘビー級トーナメント 1回戦 15分1R
-
-
桜庭和志 vs.
マーカス・コナン -
- 1R 1:51 無効試合(誤審)
- ※アボットの負傷棄権により両者が決勝進出
- 第4試合 UFC世界ミドル級王座決定戦 21分1R
-
○
フランク・シャムロック vs.
ケビン・ジャクソン ×
- 1R 0:16 腕ひしぎ十字固め
- ※シャムロックが王座獲得に成功
- 第5試合 ヘビー級 15分1R
-
○
ビクトー・ベウフォート vs.
ジョー・チャールズ ×
- 1R 4:03 腕ひしぎ十字固め
- 第6試合 UFC-Jヘビー級トーナメント 決勝戦 15分1R
-
○
桜庭和志 vs.
マーカス・コナン ×
- 1R 3:44 腕ひしぎ十字固め
- ※桜庭がトーナメント優勝
- 第7試合 UFC世界ヘビー級タイトルマッチ 21分1R
-
○
ランディ・クートゥア vs.
モーリス・スミス ×
- 1R終了 判定2-1
- ※クートゥアが王座獲得に成功
脚注
- ^ 『格闘技通信』1月26日増刊号、ベースボール・マガジン社、p.34。
- ^ kamipro編集部編『U.W.F.変態新書』エンターブレイン、2008年、p.156。
- ^ 当時、キングダムに所属していた金原弘光と高山善廣によるとキングダムの選手がUFC-J専属になる話やキングダム所属の垣原賢人がUFC-Jへ移籍するという話があったという関係だった(『プロレス狂の詩 夕焼地獄流離篇』エンターブレイン、2006年、pp.52,58)。
- ^ 桜庭和志『ぼく。』東邦出版、2000年、p.136。
- ^ 『格闘技通信』1月26日増刊号、ベースボール・マガジン社、po.8-9。
- ^ 『U.W.F.変態新書』p.150。
- ^ 『別冊宝島 プロレス読本 FILES Vol.5』宝島社、1998年。
- ^ 『格闘技通信』1月26日増刊号、ベースボール・マガジン社、po.4,18,34。
関連項目
外部リンク
「UFC 155」の例文・使い方・用例・文例
- エリザベス女王時代 (1558‐1603).
- エリザベス 1 世は 1558 年から 1603 年までの間君臨した.
- 1558年のエリザベスの就任
- 順数の155番目の序数詞
- 1555年にルターの主義の普遍性を防御して、実際にはルターの革新を正当化するために作成されたドキュメント
- 体重が155ポンドから160ポンドの間のプロボクサー
- オランダ人のプロテスタントの神学者で、ジョン・カルバンの絶対的な予定説に反対したアルミニウス説を創立した(1559年−1609年)
- フランス人の探検家で、セントローレンス川を探検し、その領域はフランスのものであると主張した(1491年−1557年)
- フランスの1560年から1574年までの王で、その治世が彼の母カトリーヌ・ド・メディシスによって統治された(1550年−1574年)
- 英国の海洋探検家で、北極を探検して、北西航路を追い求めた(1550年−1605年)
- 1547年から1553年までのイギリスとアイルランドの王
- 1558年から1603年までの英国女王
- 英国の辞書編纂者で、イタリア語と英語の辞書で知られる(1553年−1625年)
- ロシアの皇帝(1551年−1605年)
- 1553年の9日間のイギリスの女王
- ウィリアム・シェイクスピアの妻(1556年−1623年)
- 英国の俳優で、シェイクスピア劇の最初のフォリオ版を編集した(1556年−1630年)
- 1547年から1559年までのフランスの王
- フランスのヘンリー2世の息子で、バロア朝最後のフランスの王である(1551年−1589年)
- 英国の神学者(1554年−1600年)
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