SM分離および相互直通運転開始から民営化直前まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 09:15 UTC 版)
「横須賀・総武快速線」の記事における「SM分離および相互直通運転開始から民営化直前まで」の解説
横須賀線と東海道本線は系統別の分離運転を、横須賀線と総武快速線は相互直通運転を開始、前者を「SM分離」、後者を(総武快速線の列車番号はFのため)「SF直結」と呼んだ(詳細は後述)。同時に幕張電車区所属の総武快速線運用車は横須賀線と編成を合わせるためグリーン車2両を連結、編成も最大15両編成となった。品川駅 - 横浜駅間は品鶴線に迂回するため、東海道本線より2.9 km長く、所要時間も東海道本線より5分延び、さらに東京駅地下ホームから地上へ上がるまで3分〜5分かかるため、合計8分〜10分の差が生じてしまった。また、両線が直通運転をしたため、東京駅で着席できないなどの問題も生じた。さらに、この改正から横須賀駅 - 久里浜駅間の区間運転が逗子駅まで拡大、車両も付属の4両編成での運転となった。 1981年(昭和56年)7月6日に津田沼駅 - 千葉駅間の複々線化が完成、複々線区間は錦糸町駅 - 千葉駅間となる。同年10月1日ダイヤ改正より横須賀線のスピードアップ及び停車時分の短縮を図り、品川駅 - 横浜駅間の所要時間差を1分30秒縮め、データイムには1時間に1本久里浜駅直通運転に改め、総武線快速電車は稲毛駅に停車、同年12月20日には千葉駅構内東京方(緩行線西千葉駅付近)の総武本線・成田線ルートと外房線・内房線ルートとの立体交差化が完成した。1984年(昭和59年)7月23日から東京駅 - 津田沼駅間で「ホームライナー津田沼」の運行を開始した(詳細は後述)。1982年(昭和57年)11月15日のダイヤ改正では、両国駅及び新宿駅発着の急行列車を全て特急列車に格上げ、その中から両国駅 - 銚子駅(成田線回り)間運転の特急「すいごう」が新設された(この改正前及びその後の特急・急行列車の歴史については、「しおさい (列車)#総武本線優等列車沿革」、「あやめ (列車)#成田線・鹿島線優等列車沿革」、「さざなみ (列車)#内房線優等列車沿革」、「わかしお (列車)#外房線優等列車沿革」をそれぞれ参照)。1984年(昭和59年)2月1日のダイヤ改正では、横須賀線東京駅 - 大船駅間の最高速度を95 km/hから100 km/hに向上、東海道・横須賀線の朝の通勤時間帯の混雑率の平準化が図られ、千葉駅では成田線ホームが増設され、当初の計画通りの設備がほぼ完了した。1986年(昭和61年)4月2日に西大井駅が開業、その後、国鉄は1987年(昭和62年)4月1日の分割民営化により東日本旅客鉄道に継承された。
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