SM分離後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 08:39 UTC 版)
SM分離後の横須賀線の詳細な歴史については「横須賀・総武快速線#SM分離および相互直通運転開始から民営化直前まで」以降を参照 1950年代 - 1970年代の沿線のベッドタウン化によりラッシュ時の混雑は激化の一途をたどり、東海道線と線路を共用する大船以北では輸送力が限界に達したため、1980年には東海道貨物線を利用して旅客線を複々線化して両線の列車が分離された(SM分離)。東京駅 - 品川駅間では東京トンネルを掘削、その区間は地下別線を走行、品川駅 - 鶴見駅間は品鶴線を走行、鶴見駅 - 大船駅間では貨物線を郊外に新設(鶴見駅 - 横浜羽沢駅 - 東戸塚駅間)して旧線を流用し、横須賀線は総武本線の快速電車(総武快速線)と直通運転を行うようになった。 さらに1990年代には、大船駅までへの「成田エクスプレス」が乗入れ、21世紀に入ってからは湘南新宿ラインとして、山手線渋谷駅・新宿駅・池袋駅を経由して東北本線(宇都宮線)と直通運転を行う列車が設定された。 2009年6月16日に開通120周年を迎えるにあたり、6月5日より鎌倉市のカトレヤギャラリーで写真展が、6月13日より「YYスカ線フェスタ」が開催され、横須賀駅で同年秋より「成田エクスプレス」に使用される新型車両E259系電車の展示などが行われた。このほかにも沿線では多彩なイベントが行われ、2010年までE217系電車には記念のヘッドマークが掲げられた。
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