MBOの経緯とは? わかりやすく解説

MBOの経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/22 14:52 UTC 版)

ぎょうせい」の記事における「MBOの経緯」の解説

かつてのオーナー家で「ぎょうせい」の“中興の祖”とも言える藤澤乙安(2000年3月没)は、もともと株取引長じ一代巨富築いた立志伝中の人物で、戦後経営破綻した「ぎょうせい」の前身である帝国地方行政学会買収し再建果たした。もっとも、乙安は当初から出版事業関心があったわけではなく目的自身節税策として赤字会社買収による利益圧縮にあったその後、乙安は官公庁タイアップした出版物法務省編「現行日本法規」のような法令集、経済産業省の「通商白書」、月刊文部科学時報」など)を多く刊行し出版事業中核とした。これらは、“「役所公費でそろえ法令判例などの資料タダでもらい、まとめて刊行するだけ。出版物多く買い取りリスクがない」(経済記者)“ビジネスモデルであった。また“「入社試験父親職業聞かれ、『公務員』と答えると合格する、と社内では言われている」(同社関係者)”など役所との太いパイプ築き上げた。 この結果、“「出版業界はここ5年連続売上高前年度割れし、10年前水準戻ってしまったが、『ぎょうせい』は景気左右されず、売上高伸ばしている」(清田義昭出版ニュース編集長)”と評され2001年度売上高出版業界7位の約760億円、社員数は業界最多の約2千人を誇る強固な経営基盤築き上げた。 しかし、社内では“「うちは超安月給で、新入社員の約3割は入社後3年ぐらいで辞めてしまう。取締役でも年収は1千万円台の前半聞いています」(社員)”といわれ、“「人件費経費抑えて収益上げ徹底した節税株主15%の高配当をする。ただし、大半実質的に社長のもの。結局社長だけがもうかるシステム」(前出OB)”と言われた。 こうした中、乙安より事業引き継いだ藤澤玄雄・社長(乙安の養子)が、乙安からの相続財産のうち課税されるべき相続税12億円脱税したとして、2002年8月東京国税局から東京地方検察庁告発され同年9月社長辞任した同月相続税法違反逮捕され翌月起訴2004年7月一審東京地方裁判所懲役2年罰金2億5千万円の実刑判決2005年1月二審東京高等裁判所被告側控訴棄却、さらに2006年1月最高裁判所でも上告棄却実刑確定判決となり、刑務所収監された。このことが、MBOによって同族経営から脱却する契機となった。 ※以上、週刊朝日2002年9月20日号より参照、“”内のコメントは同記事より引用

※この「MBOの経緯」の解説は、「ぎょうせい」の解説の一部です。
「MBOの経緯」を含む「ぎょうせい」の記事については、「ぎょうせい」の概要を参照ください。

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