G1L
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ロレーヌの設計案は1933年の軽歩兵戦車の設計に基づいており、 これは長く低い車体で高い塹壕超越能力を備えていた。しかしそのために車体に75mm砲を搭載する空間が確保できず、より小口径の47mm戦車砲としたがAPX4砲塔にも同一の砲を搭載していることを鑑みると余分なものに見えた。履帯はカーデンロイド式でG1Fと同様に脆弱さを理由に差し戻された。トランスミッションも当初はクリーブランド式が提案されていたが拒絶され、代わりにプレセレクタ式のCotalギアボックスが搭載された。エンジンは230馬力のイスパノスイザ製が予定されていた。 全長は550 cm、全幅は 250 cmである。 この案は鋳造装甲だけでなく溶接鋼板も多用するという点で他の設計案と異なっていた。 1937年には鋳造装甲は品質管理が難しく生産設備も限られており、他の多くのフランス戦車も鋳造を多用しているため生産数が制限されそうだということが明らかになった。また、ロレーヌ案の電気機械式トランスミッションはすでにロレーヌ 37Lトラクターに採用され量産もされており開発に躓く危険が少なかった。この時期には国際的な緊張が高まり続けており、警戒のため近代的な装備の導入の必要性が強まった。その結果、1937年末にこの設計案は認められロレーヌと260万フランの全面的な開発契約が結ばれ、1938年末までに試作車両の納入をすることになった。 1938年の夏には普通鋼で作られたモックアップが完成し、同社は1941年に生産が開始できるかもしれないと考えていた。しかし1939年の仕様変更によりこの見込みは崩壊した。G1Lを75mm砲装備の砲塔に設計変更したとき重量は36トンへと増大した。最初の提案の時点では車体の空虚重量は16トンと見積もられていた。重量増大を補うため強力なパナールの450馬力エンジンへ換装することが計画されたが、当初想定されたエンジンより大型のエンジンを車体に搭載するために車体後部の高さが伸び大型のFCM砲塔の完全旋回を妨げることになった。エンジンと砲塔の換装により車高は290 cmに増大した。履帯の接地厚も平方センチあたり60 kg にもなり許容量の3倍になるなどサスペンションも過負荷になる恐れが生じた。 1939年初頭にロレーヌは砲塔をARL3砲塔の派生型とすることで計画を存続させることにしたが、モックアップ段階でもARL3砲塔が搭載されたことはなかった。このロレーヌ砲塔は軽く重量削減に役立ったが、小型のため俯角は制限された。 1939年4月13日に委員会はG1Lの開発放棄を勧告したが、これは国防省により拒否された。最終的には戦争の勃発後の9月10日に中断された。
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