G1B
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/24 15:52 UTC 版)
BDRは上部転輪が高く配置された履帯など大まかにはルノーB1を参考にした設計だったが、毎日グリース刺しが必要なB1と異なり密封されたボールベアリングを使った転輪を片側7つづつ備えていた。この履帯はライナーとしてひとつながりの連続したゴム(Pendelastic) で内張されている。 この設計案の寸法は全長 556 cm、全幅は 280 cm で高さは 285 cmである。これは提案の中で最も大きく重量も28.5トンでは最も重かった。履帯幅は35 cm。渡河能力は通常は深さ145 cmまでであり、BDRは堤防を越えて渡河できるように完全に防水することを可能にできるとも考えていた。 動力は車体横向きに搭載されたポテ空冷12気筒320馬力エンジンが予定されていた。トランスミッションはガスエレクトロリック式およびGebus-Roussin方式。燃料タンクは容量520リットル。主砲は要求に合わせて75 mm SA35を車体に装備し装弾数は70発。1937年の設計では砲塔は47 mm SA35を装備するAPX4砲塔を搭載し装弾数102発。 車体は砲塔を左側にずらせば75 mm 戦車砲を中央に配置するだけの十分な幅があったが、この設計案ではそれを採用しなかった。 委員会が75 mm砲を砲塔に搭載するよう仕様変更したときBDRはこの案は車体がすでに大型ゆえに砲塔も大型化すると重量過大となると警告した。委員会は1938年夏にこれをどうにかして改善するようにBDRに促したが、問題は克服できないことがわかった。この重量過多による機動力の低下を多少なりとも補うため、より強力なルノーの350馬力エンジンへの換装が提案された。1939年4月13日にARL3砲塔の搭載が試みられたとき試作車両の車高は325 cmとなり鉄道輸送を困難にするほど車体を広くしなければ搭載できず、さらに重量に関しても37.5トンとポンツーン輸送の制限を超過することが明らかとなった。 試作車両が1939年3月に国防省によって発注されていたが、1939年9月10日に中断された。保安上の理由から密閉された部屋で組み立てたために出口から出すことができず委員会に提出さえされていない木製のモックアップしか完成せず、完全な試作車両は製造されていない。しかし、その後にG1BをもとにしたARL 40駆逐戦車が開発されている。
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