北海道縄文人集団
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 07:43 UTC 版)
アイヌは北海道縄文人の子孫とされるが、北海道の縄文人は本州や九州の縄文人とは異なっていたとされる。(本州・九州縄文人は現代の東アジア人に似ていたが、北海道縄文は古代シベリア人に近縁であったとされる。瀬口(2014)によると、縄文人は旧石器時代の多様な集団から派生し、様々なルートで日本にやってきたとされる。) 母系の系統を表すミトコンドリアDNAの系統解析から、北海道の縄文時代人・続縄文時代人の母系系統の頻度分布は、本土日本人を含む現代東アジア人集団の母系系統の頻度分布と大きく異なることがわかっている。また、坂上田村麻呂による蝦夷征討以前の東北地方の古墳時代人には、北海道の縄文人・続縄文人に多くみられる遺伝子型が観察されることから、東北地方の縄文人も北海道の縄文人・続縄文人と同じ系統に属する可能性が指摘された。これを受けて東北地方縄文時代人のDNAと北海道縄文時代人のDNAが比較され、北日本縄文人の遺伝子型の中心となっているのはハプログループN9bおよびM7aであることがわかった。 北海道縄文人集団には、N9b、D10、G1b、M7aの4種類のハプログループが観察されている。このうち、N9bの頻度分布は64.8%と非常に高い。N9bはアムール川下流域の先住民に高頻度で保持されている。また、D10はアムール川下流域の先住民ウリチにみられる。G1bは、主に北東アジアにみられるハプログループGのサブグループで、カムチャッカ半島先住民に高頻度でみられるが、現代日本人での報告例はない。
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