ED18形(初代)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/05 03:06 UTC 版)
「国鉄ED18形電気機関車」の記事における「ED18形(初代)」の解説
ED18形(初代)は、前述のように東海道線電化に際してイギリスから輸入されたED52形を、中央本線用として、1931年から1935年にかけて、歯車比の増大(2.56→4.33)改造を大宮工場(現在の大宮総合車両センター)において実施し、改番したものである。ED52形全6両のうち、3 - 6が改造の対象となり、改造後も元の車番を踏襲してED18 3 - 6となった。 ED50形とED52形は、この改造によって基本的に同形・同性能になったが、内部機器の配置が異なることから、ED17形と本形式に別れた。 1号機、2号機については、将来の改造に備えて欠番のままとされた。しかし、種車として想定されたED521, 2は、1943年(昭和18年)に同様の改造を受けたものの、ED18形にはならず、直接ED17形(22, 23)に改番されてしまった。 太平洋戦争後の1950年(昭和25年)、ED18 4 - 6の3両は、電気機器を国産のものに交換する装備改造を受け、ED17形(19 - 21)に編入された。残ったED18 3は、1953年(昭和28年)にED18形(2代)に改造された。
※この「ED18形(初代)」の解説は、「国鉄ED18形電気機関車」の解説の一部です。
「ED18形(初代)」を含む「国鉄ED18形電気機関車」の記事については、「国鉄ED18形電気機関車」の概要を参照ください。
ED18形(2代)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/05 03:06 UTC 版)
「国鉄ED18形電気機関車」の記事における「ED18形(2代)」の解説
ED18形(2代)は、線路規格の低い飯田線北部地区で使用するため、軸重軽減改造をED18形(初代)及びED17形(旧ED50形)に対し、浜松工場において施工したものである。具体的には、戦前に製作されたDD10形電気式ディーゼル機関車が履いた台車の設計を基本とする、動軸間に軸重のみを負担する走軸を1軸追加した台車(HT62形。軸配置:A1A)を新製して、従来の台車と交換するという大掛かりなものである。 1953年に、ED18 3を種車として改造が行なわれたが、形式番号とも改められなかった。翌1954年(昭和29年)には、ED17 17を種車としてED18 1が、1955年にはED17 16を種車としてED18 2が改造落成し、所期のとおり中部天竜機関支区に配置され、飯田線でED19形とともに貨物列車牽引用に使用された。 1975年(昭和50年)に3号機が、1976年(昭和51年)に1, 2号機が貨物営業から撤退、1号機と3号機が廃車された。2号機は浜松工場の入換機に転用され、ED11 2を置き換えた。同機の車籍は1979年(昭和54年)に抹消され、一旦は形式消滅となった。ED62 14が入換機に転用された後は同工場で静態保存されていたが、1991年(平成3年)に佐久間レールパークに移された。 1992年(平成4年)、EF58形とともにトロッコファミリー号の牽引機に抜擢され、走行可能な状態に整備され営業復帰を果たしたが、2005年(平成17年)に故障により再び引退し、浜松工場に戻った。2009年(平成21年)3月31日付で除籍され、2011年(平成23年)2011年(平成23年)3月からは、リニア・鉄道館で展示されている。
※この「ED18形(2代)」の解説は、「国鉄ED18形電気機関車」の解説の一部です。
「ED18形(2代)」を含む「国鉄ED18形電気機関車」の記事については、「国鉄ED18形電気機関車」の概要を参照ください。
- ED18形のページへのリンク