Apple IIと事業拡大
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 03:47 UTC 版)
「スティーブ・ジョブズ」の記事における「Apple IIと事業拡大」の解説
バイトショップとの取引により約8,000ドルの利益を得たジョブズはさらなる事業拡大を望み、そのためには多額の融資が必要となった。ジョブズはアタリ時代の上司ノーラン・ブッシュネルの勧めにしたがい、セコイア・キャピタルのドン・バレンタインに会って融資を求めたが、バレンタインはAppleへの投資に興味を持たず、代わりに個人投資家として財を成していたマイク・マークラを紹介した。 若くして引退生活を送っていたマークラは、ジョブズの野心とウォズニアックの技術的才能に心を動かされ、1976年11月に引退から復帰してAppleに加わった。マークラは自分の個人的資産から9万2,000ドルをAppleに投資したほか、バンク・オブ・アメリカから25万ドルもの信用供与を確保した。投資の見返りとして、マークラはAppleの株式の3分の1を受け取った。 1977年1月3日、マークラの助けを得て新法人「Apple Computer, Inc.(アップルコンピュータ)」が設立された。ジョブズらが約9カ月前に立ち上げたパートナーシップ(Apple Computer Company)は新法人によって買収された。マークラは会社の成長には経験豊富な経営者が不可欠であると考え、ナショナル セミコンダクターからマイケル・スコット(英語版)を引き抜き、Appleの初代社長兼CEOに任命した。ジョブズの当時の肩書きは、事業統括担当副社長(Vice President, Operations)であった。 スコットは1977年2月からAppleでの仕事を始め、Appleを組織的にするための施策として、新たに社員番号を入れた社員証を発行した。スコットはその功績を認めてウォズニアックに社員番号1を与えたが、ジョブズは「1」が自分に与えられなかったことに不満を感じ、再考するようスコットに抗議した。しかし、スコットも譲らなかったため、最終的にジョブズは社員番号0を与えてもらうことで妥協した。 Apple Iの後継機種である「Apple II」は、1977年4月16 - 17日に開催された第1回「ウェスト・コースト・コンピュータ・フェア」で初めて発表され、その後希望小売価格1,298ドルで発売された。むき出しの基板(マザーボード)として販売されたApple Iとは大きく異なり、Apple IIは基板やキーボード、電源装置などが一体化された筐体であり、テレビ等の外部ディスプレイを接続すればすぐにコンピュータとして使用することができたほか、ディスプレイにカラー表示することが可能なのも大きな特長だった。 Apple IIは1980年には10万台、1984年には200万台を超える売り上げで、莫大な利益をAppleにもたらした。1980年12月12日、Appleは新規株式公開(IPO)を行い、自動車会社フォードが1956年に行ったIPO以来最高となる資金調達額を記録した。このIPOにより、750万株を持つジョブズは約2億5,600万ドルの個人資産を手に入れた。
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