508C「ヌオーヴァ・バリッラ1100」(1937-53年)
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「フィアット・1100/1200」の記事における「508C「ヌオーヴァ・バリッラ1100」(1937-53年)」の解説
1932年以来生産され、全鋼製ボディ・油圧ブレーキを備えた近代的大衆車で市場での成功を収めていた508「バリッラ」(正式名称は508C)の後継車として1937年に発表された。さらに小型の500「トポリーノ」と直列6気筒エンジンを持つ中型車の1500の中間車種となる。 トポリーノを拡大したような魅力的な流線形スタイルの4ドア・ピラーレスセダンのボディ、前輪独立サスペンションなどの進歩的な設計は、「トポリーノ」の開発に携わったダンテ・ジアコーサが担当した。開発段階では後輪も独立懸架にすることが検討されたが、コストの制約から実現しなかった。 1932年に設計されていた旧バリッラ系の1000ccサイドバルブ、3ベアリングクランクシャフトの直列4気筒をベースとし、そのスポーツモデル用であった、排気量を拡大しヘッドをOHVとした1089cc 32馬力のエンジンを流用し、トランスミッションは4速MTとされた。 実用的な小型4座ベルリーナとして設計されていたにも関わらず、居住性、操縦安定性、そして最高速度110km/hの動力性能は、いずれも当時の欧州における同クラスサルーンの水準から抜きん出ており、ことに旧式な設計の大衆車が主流だった英国ではスポーツサルーン扱いされるほどの評価を得た。 更にこのシャーシとエンジンをベースに、前衛的な超流線型の2シータークローズドクーペボディを与えたレーシングモデル・508CS「ミッレミリア」(MM)が1937年から1940年までの間限定生産された。1100ccのまま42HPまで強化されたエンジンと空力特性のおかげで140km/hに到達、実際にレースフィールドでも活躍した。更にこのモデルは1100Sと名を変えフェイスリフトのうえ1947年から生産が再開されて1950年まで限定生産、最終的には51HP・150km/hに到達して、終戦後間もない復興期の欧州レース界で活躍を見せた。フィアット自社のみならず、1940年代後期以降のイタリアで勃興した中小零細のスポーツカーメーカーにも「1100」のエンジンは適度なサイズと価格、そしてチューニングポテンシャルの高さから愛用され、少量生産の小型スポーツカー多数が「1100」エンジンをチューンして搭載、高性能を競った。 本来の508Cシリーズは1939年にはフェイスリフトが行われ、フロント部分が当時の米国車、スチュードベーカー風のデザインに改められて「1100B」となったが、スタイルのバランスを欠き、魅力を大きく失った。1100Bは第二次世界大戦をはさんで生産され、1949年には後部にトランクを追加した「1100E」となった。なお、ファシスト政権の崩壊に伴い、戦後の「1100」シリーズはファシスト党に迎合した「バリッラ」の名を外している。 508Cと1100Bのロングホイールベースのシャシも作られ、タクシーや商用のライトバンに用いられた。
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