312T2
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 07:04 UTC 版)
「フェラーリ・312T」の記事における「312T2」の解説
312T2は312Tに多くの変更が行われたモデルで、フィオラノで発表された。変更された空力規則に合わせるため、コクピット背後のインダクションボックスは廃された。その代わりにコクピットの両側面にNACAダクトが配置され、このダクトから水平対向12気筒エンジンの各シリンダーバンクへ空気が導かれた。ホイールベースは312Tから42mm延長され、2650mmになった。312T2の発表時には、リアサスペンションにド・ディオン式を採用するという大変更が加えられていたが、何度ものテストの後に放棄され、より一般的なサスペンションへと置き換えられた 。また、発表時にはフロントタイヤの前に空気抵抗を減らすフェアリングを取り付けていたが、これも実戦には登場しなかった。 312T2は1976年3月にブランズ・ハッチで行われた非選手権レース、レース・オブ・チャンピオンズでデビューを果たし、世界選手権レースではスペインGPで初めて使用された。312T2は、312Tよりも比較的成功した車両だった。ラウダはドイツGPを迎えるまでに312T2でさらに3勝を挙げ、選手権を大きくリードしていた。ドイツGPが行われたニュルブルクリンクで、ラウダはリアサスペンション破損が原因と疑われる大事故に遭った。この事故でやけどを負ったラウダは瀕死となったが、驚くことに事故から6週間後のイタリアGPで復帰を果たした。ラウダは最終戦の「F1世界選手権イン・ジャパン」で大雨のレースを自主リタイアし、ジェームス・ハントにわずか1ポイント差でタイトル争いに敗れたが、312T2の優位性はフェラーリに2年連続のコンストラクターズタイトルをもたらした。 312T2は1977年シーズンも使用された。1977年の序盤戦に使われた車両は1976年のものとほとんど変更点はなく、実際に1976年に使用された2台(シャシーナンバー026, 027)が持ち込まれていた。わずかな外観上の相違点には、フェラーリのF1車両に初めてフィアットのロゴが記されたことがある。ラウダは1977年の序盤、車両のパフォーマンスに不満を感じ、車両開発のためにブラジルGPから南アフリカGPまでの間に、率先して多くのテストをこなした。これらのテストの結果、車両には新しいリアウィング、改良されたボディワークとサスペンションなど、いくつかの新しい部品が導入された。ラウダは南アフリカのレースで勝利を挙げたが、ラウダの車両はトム・プライスの死亡事故で外れたシャドウのロールバーがラジエターに引っかかり、レースの進行とともに水温が上昇していた。 シーズン中に、新たに3台のシャシー(シャシーナンバー029, 030, 031)が製造され、開発も続けられた。数種類の異なるノーズ、リアウィングが使用され、一部のサーキットには専用の部品も投入された。サスペンション、後部のボディワークには何度も変更が加えられた。1977年に312T2が抱えた問題点の一つに、グッドイヤータイヤがシーズンの進行とともに車体にマッチしなくなったことがあった。グッドイヤーはロータス・78のような高いダウンフォースを発生する車両に対応するタイヤ開発を続けたため、比較的ダウンフォースの少ないフェラーリは、タイヤ温度を上昇させることが困難になった。 しかしながら、このようなトラブルにも関わらず、312T2は、圧倒的なスピードよりもむしろ高い信頼性を手に入れたラウダにドライバーズチャンピオンをもたらした。ラウダは、チームメイトのカルロス・ロイテマンの1勝に対し3勝を挙げた。また、3年連続となるコンストラクターズタイトルも獲得したが、コンストラクターズチャンピオンが確定すると、アメリカGP後にラウダはチームを去った。ラウダのシートはカナダ人のジル・ヴィルヌーヴのものになったが、オーバーステアを好むヴィルヌーヴはニュートラルステアを示す312T2を乗りこなすことはできなかった。 フェラーリは、T6と呼ばれる6輪車も製造した。6輪車の前例にはティレル・P34があったが、T6は小さな前輪を4本にするのではなく、後輪を4本とし、左右の各1本の車軸にそれぞれ2本の前輪用タイヤを並列に装着した。この車両はロイテマンがテスト走行を行ったが、レースには投入されなかった。 312T2は1978年の開幕から2レースで使用され、以後は312T3に置換された。
※この「312T2」の解説は、「フェラーリ・312T」の解説の一部です。
「312T2」を含む「フェラーリ・312T」の記事については、「フェラーリ・312T」の概要を参照ください。
- 312t 2のページへのリンク