312T
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 07:04 UTC 版)
「フェラーリ・312T」の記事における「312T」の解説
312Tの開発は1974年に始まった。当時使用していた312B3はハンドリングに解決できない問題を抱えており、大きな発想の転換が必要とされていた。当時、フェラーリの新しいF1車両設計はマウロ・フォルギエリが指揮を執っていた。この車両は鋼管にアルミパネルを組み合わせたセミ・モノコック構造を採用したが、多くの新しい機構も導入した。大きなものには横置きのギアボックスがあった。横置きの配置にすることでギアボックスをホイールベース内に納めることが可能になり、慣性モーメントを低減させることができた。サスペンションも312B3から大きく変更され、シャシーのフロント部分は大きく狭められた。ハンドリングはニュートラルステアの特性を示し、312B3を苦しめた恒久的なアンダーステアから開放された。ニキ・ラウダは312Tのテストをオフシーズンの期間中継続し、万全の状態で翌シーズンを迎えるための準備を進めた。 最初の312Tは1974年の秋に完成し、1974年のシーズン終了後にモデナで報道機関向けに公開された。しかしながら、チームは1975年の開幕から2レースでは旧モデルの312B3を使用し、312Tのデビューレースは南アフリカGPとなった。デビューレースでの312Tの成績は失望的なもので、クレイ・レガツォーニの車両はセットアップに失敗し、ニキ・ラウダの車両はパワー不足に見舞われた。レース後に行われたテストで、ラウダの使用したエンジンに技術的な問題があったことが発見された。 312Tはフィオラノサーキットで312Bと同時にテストされ、この新しい車両のほうが確実に速いことが明らかになった。そして312Tは次に参戦したレース、非選手権戦のインターナショナルトロフィーレースで、ラウダのドライブにより実際に優勝を果たした。世界選手権ではシーズン序盤のブラバム、ティレル、マクラーレンによる激しい競争には出遅れたが、ラウダはシーズン中盤には5レース中4レースで勝利を挙げ、モンツァで3位に入賞してドライバーズタイトルを獲得した。このレースではレガツォーニが優勝し、フェラーリは1964年以来のコンストラクターズタイトルを獲得した。ラウダは最終戦のアメリカGPでも優勝し、フェラーリの優位性を示した。また、この1975年のドイツグランプリの予選での、ニュルブルクリンク北コースにおける最速ラップは、F1車輌の形態の変化(最低地上高の低下が主な理由だが、コース設計にも地形に起因する300m近くにもなる高低差やランオフエリアがごく一部しかないこと、さらにカルッセルなどのすり鉢状のヘアピンやジャンピングスポットなどがあるため、車体底面とコースの接触などの危険が高い)よる同コースでの新型車でのF1グランプリ開催がその危険性から不可能とされる以前の最後の記録として残されている。 1976年、F1車両のレギュレーションが変更され、当時すでに一般的になっていた背の高いインダクションボックスが禁止された。この規則は5月に開催されたスペインGPから導入され、フェラーリは1976年の序盤3戦まで312Tを継続して使用することができた。この3レースのうち、2レース目までをラウダが、3レース目をレガツォーニが制した。第4戦からは、改良版の312T2が使用された。 312Tは、シャシーナンバー018, 021, 022, 023, 024の全5台がレースで使用された。312Tの最終レースは、1976年アメリカ西GPだった。 シャシーナンバー021の車両は、1976年にジャンカルロ・ミナルディのチームに貸与され、同年に開催されたF1の非選手権レース2戦に参戦した。
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