312F1/66
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「フェラーリ・312F1」の記事における「312F1/66」の解説
312F1は1965年の末、他チームに先駆けて発表された。シャーシはまだエンジンを構造体とはしない後部まで延びたセミ・モノコックで、1969年型の312F1/69まで続いた。エンジンは新規開発を行わず、スポーツプロトタイプカーの275P2に搭載されていた3.3リッターエンジンをデチューンして搭載した。総排気量2989cc、60度V型12気筒DOHC、ボア×ストローク77mm×53.5mm、1シリンダーあたり吸気1・排気1の2バルブ、最高出力は公称360馬力/10,000rpm。燃料供給はルーカス社製燃料噴射装置を採用していた。 タイヤは当初ダンロップ製だったが車体にマッチせず、後半戦はファイアストンに変更した。 1966年シーズン開幕当初、エースドライバーのジョン・サーティースのみが312F1をドライブし、チームメイトのロレンツォ・バンディーニは第2戦までタスマンシリーズ用マシンを流用した246F1-66(158シャーシに2.4リッター"ディーノV6"を搭載)を使用した。サーティースは第2戦ベルギーGPでポール・トゥ・ウィンを達成したが、熟成が遅れる312F1よりも246F1を使用すべきだと訴えてチームと対立した。そして、第3戦の前に行われたル・マン24時間レースでチームマネージャーと衝突し、フェラーリから去っていった。 1966年の第7戦イタリアGPでは、吸気2・排気1の3バルブのシリンダーヘッド・ツインスパークが採用された。最高出力は公称390馬力/10,000rpm。この地元レースではルドヴィコ・スカルフィオッティとマイク・パークスがワンツー・フィニッシュを果たした。 フェラーリ優位の予想は裏切られ、軽量かつ信頼性の高いレプコエンジンを搭載したブラバムがコンストラクターズタイトルを獲得した。フェラーリはブラバムに次ぐランキング2位だったが、その成績はロータスやBRMがH16エンジンに躓いたおかげでもあった。当時、フェラーリはル・マンでフォードと全面対決中であり、工場ストライキによりイギリスGPを欠場するなど、F1に集中できるようなチーム状況ではなかった。
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