312T4
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 07:04 UTC 版)
「フェラーリ・312T」の記事における「312T4」の解説
1979年に向け、フォルギエリはロータスに追随しグラウンド・エフェクトを採用しなければならないと気づいた。312T4は312T3をベースとして、空力に大幅な改良が加えられた。セミ・モノコックはバスタブ型から細い箱型に変更され、コクピット後方に燃料タンクを収納した。両脇のサイドポッド内にはグラウンド・エフェクトを発生するベンチュリ構造が取り付けられた。しかし、横幅の広い水平対向エンジンが空気の流路の邪魔になってしまい、排気管の取り回しやシリンダーヘッドの形状を改良したものの、理想的なウィングカー構造には成り得なかった。 フロント部分はテーブル状のアッパーカウルの下からステーを伸ばし、フロントウィングを突き出す形状に一新された。その特異な外観から「醜いアヒルの子」と揶揄された。市街地コースのロングビーチやモナコでは、リヤウイングを後車軸よりも前に取り付けていた。当時は後車軸より前に取り付けられているものはリヤウイングの寸法(全幅110cm以内)ではなくボディの寸法(全幅140cm以内)とされていたため、より大きなダウンフォースを稼ぐことができた。 312T4は1979年南アフリカGPでデビューし、緒戦でワンツーフィニッシュを飾った。リジェ・JS11、ルノー・RS10、ウィリアムズ・FW07といったライバル車に対し、312T4は必ずしも最速のマシンではなかったが、信頼性や扱いやすさに優れており、ヴィルヌーヴとシェクターが3勝ずつの計6勝を挙げた。勝利以外にも着実な成績を残し、フェラーリは5シーズンで4度目のコンストラクターズタイトルを獲得するとともに、シェクターも生涯で唯一のドライバーズタイトルを獲得した。 1979年から1980年にかけて、312T4向けのセミオートマチックトランスミッションシステムが開発されていたが、実戦投入されることは無かった。ヴィルヌーヴが嫌ったためお蔵入りになったが、ジョン・バーナードの加入後に開発が再開され、1988年のテストカー639を経て、1989年の640にて実戦初投入された。
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