2004年アテネ五輪代表チーム
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「バスケットボール男子アメリカ合衆国代表」の記事における「2004年アテネ五輪代表チーム」の解説
2004年のアテネオリンピックにも、アメリカはNBA選手を代表として送り込んだ。2年前の大会で見られたような他国代表の成長は依然として顕著であり、アテネ五輪のアメリカ代表も前回同様トップクラスの選手に辞退者が多かった。この時の代表はプロ選手が国際大会出場を認められて以来6度目のチームなので「ドリームチームVI」となるが、この呼び方を使うメディアはますます少なくなっていた。 2003-2004シーズンのMVPに選ばれたケビン・ガーネットは代表に参加しなかった。オールNBAファーストチーム入りした選手のうちティム・ダンカンは出場したが、シャキール・オニール、コービー・ブライアント、ジェイソン・キッドの3人は辞退した。五輪参加を見合わせた選手たちは、主に私的な事情や健康問題、テロの恐怖といった安全上の懸念などを理由としていた。 そして、選ばれたアメリカ代表は非常に若いチームになった。NBAでの優勝経験とMVP受賞歴を持つダンカンは28歳で、同じく数年前のMVPアレン・アイバーソンは29歳だった。代表のキャプテンを務めたこの二人がチームの最年長で、20代前半の選手も多く含まれていた。2003年にNBAで新人王になったアマーレ・スタウダマイアーは21歳、2005年に新人王になるエメカ・オカフォーも同じく21歳、そして2004年の新人王レブロン・ジェームズは19歳だった。代表選手の平均年齢は23.6歳だった。 五輪開幕に先立って、ドイツで行われたバスケットボール代表チームによるオープン戦で、アメリカはイタリアとドイツに敗れた。NBA選手を含むアメリカの五輪代表チームが敗戦する初めての例となった。この試合はオリンピック本戦ではなかったが、「ドリームチーム」がオリンピックで試合を落とす事態が間もなく現実のものとなった。 アメリカがオリンピックで最初に対戦したのはプエルトリコだった。この試合で、アメリカは73対92と緒戦から大敗を喫してしまった。プエルトリコ代表には、NBAのユタ・ジャズで活躍するカルロス・アローヨがいた。 アメリカは予選リーグで開催国のギリシャとオーストラリア、アンゴラに勝利したものの、前回のオリンピックでアメリカを苦しめたリトアニアに終盤で逆転を許し、94対90で敗れた。予選を3勝2敗で終え、アメリカは4位シードで決勝トーナメント進出を決めた。 決勝トーナメント第一試合で、アメリカは前評判の高かったアルゼンチンと対戦。試合では、アメリカのエース、ティム・ダンカンがファウルに苦しみ、アルゼンチンが89対91でアメリカを下した。ここでアメリカの金メダル獲得の可能性はなくなった。アルゼンチンのエースエマヌエル・ジノビリは、NBAではサンアントニオ・スパーズでダンカンともにリーグ制覇の立役者となった選手だった。 3位決定戦でアメリカは再びリトアニアと対戦、外郭のシュートを高確率で決めるリトアニアに対しアメリカはリバウンドを支配し、104対96でリトアニアに勝利。メダル獲得は果たす結果となった。大会の結果は、優勝がアルゼンチン、準優勝がイタリア、3位がアメリカだった。アルゼンチンのジノビリは、アテネ五輪男子バスケットボールのMVPに選ばれた。 バスケットボールがオリンピックの公式種目になってから約70年の間、男子アメリカ代表がオリンピックで試合を落としたのは1972年ミュンヘンオリンピックと1988年ソウルオリンピックでの2試合のみだった。今回のアテネオリンピックでアメリカは3試合に敗れており、過去の負け試合数を一つの大会で上回ることになった。 2000年シドニーオリンピックと2002年の世界選手権に続き、2004年のアテネ五輪でも低調なアメリカと台頭する諸外国の対比が顕著となった。アメリカ代表が有力選手を欠く傾向は続いており、一方ヨーロッパ・南米ではチーム作りを積極的に行う国が増えつつある。6勝1敗でアテネ五輪を終えたスペインなどは、国家が少年時から選手育成を行っている。優勝したアルゼンチンは、固定された代表メンバーで長期間練習を積んでいた。
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