2004年の逮捕
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上記の執行猶予中の2004年(平成16年)9月20日夜に中野区新井の路上で車を駐車中、再び覚醒剤及び刃渡り8cmのバタフライナイフを所持していたとして、銃砲刀剣類所持等取締法違反と覚せい剤取締法違反(2度目)で現行犯逮捕された。野方警察署に留置された田代は取り調べの時、何度も嘔吐や気絶を繰り返し、病院へ担架で運ばれ点滴を打つという事態にまで至る。本気で自殺を考えた田代だったが、夢枕に立った母親に止められたという。鈴木邦男によれば、田代に薬を打たれたとされる交際女性は「いやだったけど、でも嫌われたくなくて」と涙ながらに証言したという。 本人は「芸能活動において日頃かなりのプレッシャーを感じていた故に犯行に及んだ」「盗撮事件後、家族関係が悪くなりヤケになってしまった」と弁明。また裁判所の法廷で裁判官から「(もともと)タレントに向いてないのでは?」との問いかけに「そう思います」と小さく答えた。なお、テレビ出演時に眼鏡やサングラスをしていることが多かったが、実際は伊達眼鏡で眼鏡なしではテレビに出演できないほどのあがり症だと『徹子の部屋』で話したことがある。 2005年(平成17年)2月7日、東京地方裁判所で開かれた判決公判で懲役3年6か月の実刑判決が下され、同年3月16日付で東京高等裁判所への控訴を取り下げ刑が確定。精神的に不安定なため、服役中に睡眠薬や精神安定剤を服用していた。収監中、田代は障害者や老人、元政治家などが作業する工場で刑務作業に従事していたが、周りに障害者が多かったため与えられた作業が単純なものになってしまい辛かったと語っている。 自らも大麻で2度の逮捕歴がある美川憲一は「(刑務所から)出てきたら私のところに来てちょうだい。付き人でも何でもさせて一から叩き直してやるわよ」と述べた後、「立ち直って欲しいの、お願いだから…」と泣き崩れていた。収監前から既に妻子とは別居状態にあったが、服役中に正式に離婚。 栃木県の黒羽刑務所に収監されていた田代は、刑期から未決勾留日数が引かれ、2008年(平成20年)6月26日に満期出所した。仮釈放がつかなかったのは、身元引受人がいなかったためという。7月16日、阿佐ヶ谷ロフトAにて、雑誌『創』篠田博之編集長主催のトークイベントに出演した。その場の記者会見では一部ろれつが回らないなど、心身ともに衰弱している様子が見受けられ、田代自身、不眠で医師の処方を受けていることを打ち明けている。この出所以降、公の場に出る際は常に帽子を着用するようになった。
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