1987年州知事選挙
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「ウォレス・ウィルキンソン」の記事における「1987年州知事選挙」の解説
ケンタッキー州の有権者登録では民主党が共和党に対して3対1の勢力であり、ウィルキンソンは民主党予備選挙で負け犬になるところだったが、共和党候補、シェパーズビル出身の州下院議員ジョン・ハーパーに対してはかなり優勢だった。共和党予備選挙に向けて準備していたラリー・フォージーが予備選挙前に予想外の撤退を行い、ほとんど無名で資金も無い候補者と言う著しい不利な状況に置かれていた。ハーパーは本選挙のための運動を直ぐに始めたが、ウィルキンソンは資金集めを除いてほとんど公衆の前に姿を現さず、9月の第2週まで来ていた。また現職のマーサ・レイン・コリンズ知事が1985年議会で導いた1億2,500万ドルに昇る教育改革法案の支持を拒否し、ケンタッキー州教育協会の支持を無くした。この協会はハーパーを支持した。歴史上初めて共和党候補を支持したことになったが、副知事選挙では民主党候補のブレレトン・ジョーンズを支持した。 ハーパーはウィルキンソンの宝くじ提案を「不思議の国のアリス」経済だと言って攻撃した。さらにハーパーの運動はウィルキンソンの事業に関連して多くの倫理的問題を取り上げた。ウィルキンソンの義兄弟ゲイリー・スタッフォードはウォレスの書店社長を務めており、違法な盗聴と会社自家用車の走行距離計を巻き戻したことで有罪を言われていた。この会社は追徴課税44,641ドルを言い渡されてもいた。さらに共和党州議長のボブ・ゲイブルは、ウィルキンソンがイタリアの実業家がジャーニガン・イクスポート・ティンバーとの合法取引として不動産業者を装うことでイタリア通貨を輸出することを難しくしている法を回避することを助けたかどうかを問題にした。ゲイブルは民間捜査員を雇用し、この虚偽操作がウィルキンソンの共同経営者ジェローム・ジャーニガンを深く巻き込んでいたことを疑う「実質的理由」があると判断した。このゲイブルの申し立てや捜査で明らかになったことにも拘らず、レキシントン警察当局は捜査を再開するだけの理由が無いと語った。ハーパーは選挙資金集めではかなり遅れをとっており、ウィルキンソンが800万ドルを集めたのに対し、僅か225,000ドルだった。このために十分にメディアを活用して、ウィルキンソンに関する倫理的問題を有権者の心に植え付けることができなかった。ウィルキンソンの運動もハーパーの個人生活を調べ上げ、強盗を働こうとして銃で撃たれて殺されたハーパーの息子に関する情報をメディアにこっそりと流させた。 本選挙ではウィルキンソン504,674 票対ハーパー 273,141 票で圧勝だった。総投票数の65%を確保し、ジュリアン・キャロルが作った62.8%という記録を上回った。投票率が低かったためにケンタッキー州知事選挙での最高得票にはならなかった。また副知事に当選した民主党候補ブレレトン・ジョーンズと比べても数千票少なかった。ケンタッキー州120郡では115郡を制し、キャロルの99郡という記録を破ったが、居住郡のファイエット郡では破れた。選挙後にルイビルのテレビ局が行った世論調査では、有権者の76%が他に候補者が居ればと考えたとのことだった。
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