1977年–現在: その後のキャリア
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「チェスター・トンプソン」の記事における「1977年–現在: その後のキャリア」の解説
トンプソンは、フィル・コリンズのソロ・コンサート・ツアーのドラマーとしてバンドに加わり、1982年-1983年に「Hello, I Must Be Going! tour」、1985年に「No Jacket Required tour」、1990年に「...But Seriously tour」、1999年の「The Tarzan Premiere tour」、2004年-2005年の「The Final Farewell tour」にてドラムを演奏した。また、コリンズのライブ・アルバム&DVD『シリアス・ヒッツ』にも登場している。 1986年、トンプソンは「The Next Time I Fall」という曲でドラムを演奏した。この曲はピーター・セテラとエイミー・グラントによるソフト・ロックのデュエットで、Billboard Hot 100チャートで1位を獲得した。 1988年、トンプソンは元ボスであるフランク・ザッパから、亡くなる前の最後のコンサート・ツアーでドラムを演奏するよう招待された。しかし、トンプソンはこの申し出を断った。この時までに、トンプソンは敬虔なキリスト教徒となっており、ザッパの反宗教的な感情と歌詞は彼自身の宗教的信念と矛盾しているからだと述べた。 1989年、トンプソンはビージーズのアルバム『ONE』(1989年)をサポートする「One for All World Tour」(1989年4月10日-12月7日)のドラマーとして参加した。後にミネソタ州セントポールでマイケル・マーフィーに取って代わられた。 トンプソンは、ジェネシスの他のメンバーとのソロ・プロジェクトでの作業を続けた。トンプソンはスティーヴ・ハケットのアルバム『プリーズ・ドント・タッチ』(1978年)、『ジェネシス・リヴィジテッド(新約創世記)』(1996年)でも演奏している。その後、彼はトニー・バンクスのソロ・アルバム『キュアリアス・フィーリング』(1979年)で演奏した。彼はまた、ジョン・ウェットン、イアン・マクドナルド、ジュリアン・コルベックをフィーチャーした、1998年リリースのスティーヴ・ハケットのライブ・アルバム『TOKYOテープス〜ジェネシス・リヴィジテッド・ライヴ1996』にも参加している。 彼はまた、ブランドXのギタリストであるジョン・グッドサルとベーシストのダグ・ランと共にバンド、ファイヤー・マーチャンツの創設メンバーを務め、1989年に最初のセルフタイトル・アルバムに参加した。トンプソンは1984年にサンタナでドラムを演奏し、キーボードのチェスター・D・トンプソン(同名異人)と共にアルバム『ビヨンド・アピアランス』にクレジットされている。 1992年、トンプソンと彼の家族は、有名なドラマーのラリー・ロンディンの葬式に出席するために訪れたときにその地域が気に入り、テネシー州ナッシュビルに移転した。それ以来、彼はこの地域のさまざまなアーティストのセッションで、主にジャズ、ポップ、クリスチャン・ミュージックを演奏してきた。 1995年、元ジェネシスのギタリストであるスティーヴ・ハケットは、トンプソンをジェネシス・プロジェクトのアルバムの『ジェネシス・リヴィジテッド(新約創世記)』で演奏するよう招いた。トンプソンは最初にディスカッションされたように全曲で演奏することには自信がなく、「私たち2人が元ジェネシスの人というような存在で、アルバム全体を演奏するにはあまりにも変なことだと思った」と述べた。代わりに、ハケットは追加のミュージシャンを連れてきて、トンプソンは3曲のみで演奏した。 1990年代後半、トンプソンはジャズ・ギタリストのデニー・ジオサと一緒にツアーを始めた。1999年に、彼は自身最初のソロ・アルバム『ジョイフル・ノイズ』をリリースした。2001年、トンプソンは歌手でありワーシップ・リーダーであるロン・ケノリーと一緒に韓国をツアーした。2002年1月、トンプソンはコリンズのリトル・ドリームス財団によるデビュー・チャリティ・ギグに出演した。 トンプソンは1998年からナッシュビルのベルモント大学でドラムを教えており、一方で、大学で作曲とアレンジのクラスを受講した。2008年、彼は学位を取得することから「2クラス離れた」。彼は音楽学校の非常勤講師を務めている。 2008年、トンプソンは第32回パーカッシブ・アーツ・ソサイエティ国際大会(PASIC)で生涯功労賞を受賞した。 2011年、トンプソンはピアニストのジョー・ダヴィディアンとベーシストのマイク・リンとともに、自身のジャズ・グループであるチェスター・トンプソン・トリオを結成した。彼らは当初、ナッシュビル・トロンボーン・フェスティバルのリズム・セクションの一部として一緒に演奏し、その後、コモドール・ラウンジで1年以上毎週演奏していた。『Approved』(2013年)と『Simpler Times』(2015年)という2枚のアルバムをリリースしている。
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