1964年: アルミノート: 世界初のアルミ製潜水艦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/03 07:27 UTC 版)
「アルミノート」の記事における「1964年: アルミノート: 世界初のアルミ製潜水艦」の解説
レイノルズ社はアルミニウムの用途の研究開発の先駆者だった。重量削減の効果があるのでアルミ製の乗り合いバスや自動車を試作した。自動車用の用途開発は始まったばかりだった。 アルミニウム製潜水艦の概念はレイノルズ社で1942年第二次世界大戦中に創業者の息子で上級副社長であるJulian "Louis" Reynoldsによるものだった。当時34歳だった Louis Reynoldsは戦前は売り上げの65%を占める箔部門を担当した。 レイノルズ メタルはアメリカの戦争に積極的な役割を果たしたが、それはアルミニウム潜水艦を建造する20年前の事だった。 1964年、レイノルズはジェネラル・ダイナミクス社のジェネラル・ダイナミクス・エレクトリック・ボートの建造した世界初のアルミニウム製潜水艦を保有した。潜水艦はマイアミを拠点とする子会社であるレイノルズ マリーン サービシーズによって運用された。多くの潜水艇と比較してアルミノートは大きかった。重量は80トンで3人の乗員と3から4人の科学者を収容できた。4か所の観測窓を備え、能動式と受動式のソナー、マニピュレーター、サイドスキャン・ソナーを備え、6,000ポンド (2,700 kg)の積載物を収容できた。 レイノルズはアルミノートを設計し実験として建造した。多くの種類の海洋学とサルベージの任務に対応できる柔軟性を備えていた。1964年9月にタイム誌は類稀な仕様で51フィート (16 m)の船体は11の鍛造された円筒で構成されると記した。アルミニウムの強度重量比が鋼鉄を上回っていたのでアルミノートの厚さ6.5インチ (170 mm)の船殻は最大潜水深度17,000 ft (5,200 m)で潜水時に受ける7,500 lbf/in² (52 MPa) の圧力に耐える事が出来た。 アルミノートはマサチューセッツのウッズホール海洋研究所で設計され1956年に初めて試験された。技術者達が内部の空間を検討するために実物大の木製の模型が製作された。計画は当時、極秘裏に扱われた。当時、タワー型の出入り口が無く、すぐに沈没した。タワー型の出入り口が設計され、追加され最初の試験で潜水艦は転覆した。当時は設計が非実用的でおそらく解体されると思われた。(David Guy Harden博士の個人的な推測) 最終的な設計の1/16縮尺の模型が1960年に製造され、安定性と圧力の試験に合格した。
※この「1964年: アルミノート: 世界初のアルミ製潜水艦」の解説は、「アルミノート」の解説の一部です。
「1964年: アルミノート: 世界初のアルミ製潜水艦」を含む「アルミノート」の記事については、「アルミノート」の概要を参照ください。
- 1964年: アルミノート: 世界初のアルミ製潜水艦のページへのリンク