1964年、市の法人化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/02/23 23:10 UTC 版)
当時、市の急速な拡大を制御するため、市としての法人化が計画された。1964年、カマリロは市となり、魅力ある市の環境をつくるために、都市計画や建築基準法がすぐに整備された。1964年時点では市の中心部から最も近い信号機は、3.2㎞離れたポイント・マグーにあった。また市で最初のショッピングセンターやスーパーマーケットが建設中だった。市の法人化が遅かったために、電話交換局ではいまだオックスナードの一部としてリストに載っていた。市の大部分はベンチュラ・ブールバードの南側に発展すると予想されていたが、市の成長はベンチュラ・ブールバードの北側で進み、南側は今日も農地のままである。 1960年代、住宅購入者の多くはかつて付近の基地に配置されていた退役軍人だった。温暖な気候や住環境が彼らを呼び寄せた。太平洋ミサイル試射場やポイント・マグー海軍航空基地、ポート・ワイニミ海軍シービー基地の設立に伴い、多くの人々が軍に関連する職に就いた。新しくやってきた人々の中には、サンフェルナンド・バレーで暮らしていたり、通勤に耐えることも厭わずスモッグのない環境の田舎町で子育てをするために来た者もいた。その他には、豊富な労働力を利用するために市やその周辺に設備を置いた3M、ハーバー・フライト・ツールズ等の企業の従業員も移住してきた。市内には世界最大のDVDコピー機メーカーであるテクニカラー社の工場もある。1964年発足当初の市議会議員は、ネッド・チャットフィールド、スタン・デイリー、アール・ジョセフ、Tweedy Rouce、そしてガイ・ターナーだった。
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