19世紀半ば
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/25 06:50 UTC 版)
妻を売るのは最下層の労働者、とくに都会から遠い地方に住む人々に限られたと19世紀なかばには考えられていたが、夫や購入者の生業を分析すると、この慣習が最もよく見られたのは「主要産業」のコミュニティだったことがわかる。158の事例で職業が明らかになっているが、最大の集団は畜産と運送業の19人だった。建築業が14人、鍛冶が5人、掃除夫が4人、ジェントルマンと表現された男性が2人いた。この数字は、妻売りが単に農村のならわしとはいえない可能性があることを示唆している。最も注目すべき記録としては、ヘンリ・ブリッジス、シャンドス公の例が挙げられるだろう。彼は1740年ごろに二番目の妻を馬丁から購入していると言われている。妻につけられる価格にはかなりの開きがあり、高いものでは100ポンドに子供2人にそれぞれ25ポンドずつという例が1865年にある。安ければビール1杯、あるいは無料という場合さえあった。現金で取引された中で一番安いときは3ファージングだが、通常であればだいたい2シリング6ペンスから5シリングのあいだにおさまったようだ。ウェイド・マンセルとベリンダ・メテヤードによれば、金額は二次的な事柄なのがふつうのようである。妻売りが法的にはなんら根拠がなくとも、法的に拘束されたものとして多くの人にみられることが重要なのだった。新たに婚約した男女が重婚になる場合もあったが、妻を売ることに関して当局の態度ははっきりしなかった。田舎の牧師や判事もこの習慣を知っていたが、合法性については言葉を濁すか、目を瞑っていた。教区記録には、1782年のエセックス、パーレイでの次のような記入がみられる。「モーゼズ・ステビングの娘アミーが買われた妻にともなわれ頭絡をつけたままやってきた」。リンカンシアの陪審は1784年に妻を売った男には買い手にその返還を要求する権利がないという裁決をしている。したがって契約の有効性は保証されたのである。1819年にはある判事がアシュボーンでおこなわれていた競売をやめさせようとして、群衆から石を投げられ追い払われている。後に彼はこう言っている。 .mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}私が巡査を遣わせた本当の目的は醜い売買を阻止することだったのだが、黙認ととられたかもしれない…売ることそれ自体に関しては私にやめさせる権利などないし、邪魔することもできない。人々がまもっているこの習慣は、そんな目的で法律を盾に奪ってしまうとおそらく危険なことになるような類のものだからだ 救貧法の判決例として、1814年のヘンリ・クックがそうなのだが、エフィンガム救貧院にいる妻と子を養うのではなく、売ってしまうことを夫に命じるというものもあった。妻はクロイドンの市へ連れて行かれ、1シリングで売られることになった。移動と「結婚披露宴」の費用は救貧区から支払われている。
※この「19世紀半ば」の解説は、「妻売り」の解説の一部です。
「19世紀半ば」を含む「妻売り」の記事については、「妻売り」の概要を参照ください。
19世紀半ば
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 01:55 UTC 版)
「ブラックウッズ・マガジン」の記事における「19世紀半ば」の解説
1840年頃になるとウィルソンの寄稿が減り、『ブラックウッズ』の発行部数も減少した。同誌は評論以外にもホラー小説を多く掲載していたが、これはのちにチャールズ・ディケンズ、ブロンテ姉妹、エドガー・アラン・ポーらヴィクトリア朝の作家たちに大きな影響を及ぼした(オックスフォード・ワールズ・クラッシクスの企画の一つとして同誌の1817年から1832年の間に掲載されたホラー小説を集めたアンソロジーTales from Terror from Blackwood’s Magazineが1996年に出版されている)。ポーは同誌に掲載されていたホラーものをパロディにした“How to write a Blackwood Article”(1838)や“Loss of Breath: A Tale A La Blackwood”(1846)といった作品も残している。ブランウェル・ブロンテ(Branwell Brontë)含めたブロンテきょうだいは『ブラックウッズ』の熱心な読者で、彼女らが出版した『ヤング・メンズ・マガジン』(The Young Men’s Magazine)ではそのスタイルや内容が模倣されている。
※この「19世紀半ば」の解説は、「ブラックウッズ・マガジン」の解説の一部です。
「19世紀半ば」を含む「ブラックウッズ・マガジン」の記事については、「ブラックウッズ・マガジン」の概要を参照ください。
- 19 世紀半ばのページへのリンク