118形(118 - 137)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 13:55 UTC 版)
「九州電気軌道」の記事における「118形(118 - 137)」の解説
1938年から1939年にかけて導入された鋼製車。これまでの車両は車両の両端にドアを寄せていたが118形ではドアを前寄りと車両中央部に配置した。先頭部は傾斜をつけた流線形とされた。
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118形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/27 14:17 UTC 版)
「九州電気軌道100形電車」の記事における「118形」の解説
輸送力増強が求められるようになった北九州線に向け、1938年から1939年にかけて20両(118 - 137)が製造された形式。車体は100形と同様に半鋼製だったがデザインが大きく変更され、製造当時世界的に流行していた流線形が先頭部の構造に取り入れられた。更に製造時は前照灯が屋根上に設置されていた他、乗降扉も車内における乗客密度の平均化を図るため、当時大阪市電に導入されていた新型電車と同様の、車体の左側と中央に扉を設ける非対称配置に改められた。更に乗降扉はドアエンジンが設けられ、自動ドアとなっていた。窓は2段上昇式となり、以降導入された北九州線向けの電車も同様の構造が受け継がれた。 製造メーカーは100形と同様に汽車製造(118 - 124)と日本車輌製造(125 - 137)で、汽車製造製の車両は雨樋が車体上部まで下がっていた一方、日本車輌製造製の車両は雨樋が屋根上にある張り上げ構造となっていた。台車についても汽車製造製車両が引き続きLH形を用いた一方、日本車輌製造製車両は軸受支持構造をウイングばね式に変更したK-10形が採用されている。 第二次世界大戦後、1947年に120 - 122(汽車製造製)の3両は西鉄が所有していた別の路面電車路線である福岡市内線へ転属し、形式名を「300形」(301 - 303)と改めた。その際に、前照灯の前面中央窓下への移設、扉配置の車体両端への変更、乗降扉の2枚折戸式への交換など、他車と仕様を合わせる改造工事が実施された。だが、長距離運用を主体とする北九州線向けに製造されたこれらの車両は福岡市内線向け車両と比べて電動機の出力や歯車比が異なり、運用に支障をきたしていたため、1952年に北九州線へ戻され番号も旧来のものへ復元された。また、同年以降北九州線の残存車についても同様の車体改造が施された他、内装の近代化工事も行われた。 ワンマン化工事は行われず、工事済みの福岡市内線からの転属車の大量導入に伴い1976年9月から1977年3月にかけて全車廃車となった。
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