魯迅と仙台とは? わかりやすく解説

魯迅と仙台

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/12 10:15 UTC 版)

魯迅」の記事における「魯迅と仙台」の解説

仙台医専時代魯迅描いた作品太宰治の『惜別』がある。この「惜別ということばは、仙台医専時代に、魯迅個別添削授けるなど何かと気を配っていた恩師藤野厳九郎最後に魯迅渡した写真の裏書いたことば。その藤野との関係は、小説藤野先生』に以下のように描かれている。 「私の講義ノート取れますか?」とかれは訊ねた。「どうにか」 「見せてごらん」 私は筆記したノートをさし出した。かれは受け取って一両日して返してくれた。そして、今後毎週持ってきて見せるようにと言った持ち帰って開いてみて、私はびっくりした同時にある種困惑感激襲われた。私のノートは、はじめから終りまで、全部朱筆添削してあり、たくさんの抜けたところを書き加えただけでなく、文法誤りまでことごとく訂正してあった。このことがかれの担任骨学血管学、神経学授業全部わたってつづけられた。-中略- だが、なぜか私は、今でもよくかれのことを思い出す。わが師と仰ぐ人のなかで、かれはもっとも私を感激させ、もっとも私を励ましてくれたひとりだ。私はよく考える。かれが私に熱烈な期待をかけ、辛抱づよく教えてくれたこと、それは小さくいえば中国のためである。中国新し医学生れることを期待したのだ。大きくいえば学術のためである。新し医学中国に伝わることを期待したのだ。私の眼か見て、また私の心において、かれは偉大な人格である。その姓名知る人がよし少いにせよ。魯迅藤野先生」訳は竹内好魯迅文集第二巻、1976、p150・p154 魯迅は、1904年明治37年9月から1906年明治39年3月までの約1年半しか仙台にいなかったが、仙台市東北大学では、様々な面で魯迅通じた交流中国行っている。中国人にとっては、東北大学片平キャンパスにある(旧)仙台医専の「階段教室」がよく知られており、1998年平成10年11月29日には江沢民中国共産党中央委員会総書記訪問している。訪問した中国人は、魯迅がいつも座っていたとされる教室中央帯、前から3番目の右端近くでの記念撮影をしている。その他、同キャンパス内に「魯迅先生像」(1992年10月19日設置)、仙台城三の丸仙台市博物館敷地内に「魯迅の碑」(1960年12月設置)と「魯迅像」(2001年設置)がある。また、魯迅旧居」が片平キャンパス正門近くにあったが、2019年5月解体され石碑のみが残る。 2004年平成16年)、東北大学は、魯迅留学100周年記念して同大に縁りのある中国要人に『東北大学魯迅賞』、同大大学院在籍する優秀な中国からの留学生に『東北大学魯迅記念奨励賞』を贈った。ただし、諸事情により、翌年から各々東北大学藤野先生賞』と『東北大学藤野記念奨励賞』に名称変更された。東北大学創立100周年記念して魯迅藤野厳九郎胸像仙台市内キャンパス設置された。また、2011年平成23年7月19日東北大学史料館に「魯迅記念展示室」が設置され9月28日オープニングセレモニー実施された。 青葉区米ケ袋にある魯迅下宿した佐藤屋」の跡地には石碑建てられる程度であったが、中国人留学生観光客訪れることから、留学100周年となる2004年歴史遺産として整備するため市が地権者から土地取得2019年5月木造住宅解体し2022年4月に「米ケ袋一丁目公園」としてオープンした

※この「魯迅と仙台」の解説は、「魯迅」の解説の一部です。
「魯迅と仙台」を含む「魯迅」の記事については、「魯迅」の概要を参照ください。

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