馬琴の「隠微」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 23:36 UTC 版)
馬琴は、みずからの創作技法として「稗史七則」をまとめ、『八犬伝』第九輯巻之七に付言として記している。このうち「隠微」は、物語には文外に「深意」があるとするものである。「百年の後知音を俟て是を悟らしめんとす」という馬琴の言葉には、多くの読者や研究者が魅了されてきた。 『八犬伝』の物語構造や人物配置には仏教説話・日本神話、あるいは民間信仰などのモチーフが複合的に投影されていると解釈する研究者もいる。「隠された出典」と解釈されたものに以下のようなものがあげられる。 八字文殊曼荼羅 高田衛が提唱。獅子(=八房)に騎乗する文殊菩薩(=伏姫)のイメージ(八字文殊菩薩)が投影されているとする。この説によれば「八犬士のうち二人が女装して登場する理由」は、文殊菩薩に従う八大童子のうち二人が比丘(女児)であることに求められ、「犬士の痣が牡丹である理由」は牡丹の匂いが獅子(=八房)の力を抑える霊力があることで説明される。また、後半に現れる政木大全が「準犬士」として遇されるのは文殊菩薩の従者である善財童子が投影されているためとされている。 北斗七星 『八犬伝』刊行開始前に出された刊行予告から、一時馬琴には『合類大節用集』の記述を無視してまで物語を「七犬伝」とする構想があったという。高田衛は八犬士に北斗七星のイメージが投影されているとも指摘している。七星の一つミザールにある「輔星(添え星)」を8番目の星と見なすことにより齟齬をなくしているが、これによって「八犬士のうち一人が子供として登場する理由」も説明できるとする。 徳田武らによって『八犬伝』に執筆当時の社会情勢への馬琴の批評を見出す解釈も存在する。親兵衛の造形には打ちこわしの際に現れたという大童子の姿が重ねられており、また親兵衛の京都物語に登場する足利義政批判に大御所徳川家斉批判が、虎退治の物語には大塩平八郎の乱(1837年)の隠喩があるともされる。また、小谷野敦は里見の領国を日本のミニチュアととらえ、領民を組織して行われた里見家の軍事訓練の描写などに江戸時代後期の海防論との関係を見出している。
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