親兵衛の京都物語
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 23:36 UTC 版)
八犬士の結集を見た里見義実であったが、丶大が出家したことで金碗氏が絶えることを惜しみ、八犬士の姓(氏)を金碗に改めることを提案、改姓許可を得るため朝廷に使節を派遣することとする。使者に選ばれたのが犬江親兵衛で、文明15年(1483年)7月に京都に向け出発し、8月に入京して朝廷から許可を得た。しかし、美貌の親兵衛は管領細河政元に気に入られて抑留されてしまう。親兵衛は「京の五虎」と称される武芸の達人たちや、結城を追われ京都に戻っていた悪僧徳用(父は細河家の執事)との試合を行い、大いに武勇を示した。10月、巨勢金岡の描いた画の虎が抜け出て京都を騒がす事件が発生する。11月、虎を退治した親兵衛は、褒賞として帰国を認めることを細河政元に認めさせ、安房への帰国の途に就く。
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